AiLydia’s diary

ゴスペルに関すること全てを書いていきます!歴史、背景、歌詞や曲の解説、おススメゴスペルアーティストなどなど!ゴスペルをメインに私の人生や想い、音楽や信仰に対する情熱を日々の出来事から綴っていきたいと思います。

宗教とは?そもそもなんだろか?

今回は、ゴスペルの歴史を一度離れて、ゴスペルを支えたキリスト教信仰、つまりイエスキリストの存在がどうであったかを知るために、宗教と言われるものの根本を探りたいと思います。少し長文ですが。

宗教と信仰と土着の神々について。
朝起きたら言葉が次々湧いてきたので、書いてみます。

前にも何度か書いてるテーマなのですが。私はクリスチャンという事で、イエスキリストの存在も信じるし、イエスの生き様が好きで、お手本にしたいという気持ちから信仰を持ってるわけです。

しかし、だからと言って、先祖の墓参りにお寺に行ったら手を合わせないと言うこともないし、旅先で氏神さまが居たら手を合わせます。
何も自分の中に矛盾は生じないし、不自然でもなんでもない。
私の中でメインに置いてるものがイエスの存在。だからと言って他を拒絶したり否定したり出来ないと思う。
ただ敢えて出かけなくとも、教会があったり、自分でお祈りすることで満たされるからそうしてるだけ。

クリスチャンは、保守的になると、自分たち以外の信仰を認めたがらない。
それがプロパガンダの始まり。
他の宗教も同様に。

そもそも宗教という概念は、ヨーロッパから来た。ギリシャ人たちは、二元論を元に科学や天文学や音楽や哲学を構築したから。本当の初めはそうでなかったものの、分かりやすさから白か黒、善か悪、二で割れるもの。自然数よりも、割り切れる世界を築いた。
その為には種類を明確に分けることが必要だった。グループ分けみたいなもの。
分けてから、定義付けすること。
だから、世界を征服する為にローマはここは、赤、ここは、青、というふうに分類した。
さまざまな文化や肌の色や価値観、食べ物がある訳だから、その方が効率がいいに決まってる。
そこに色々な神様もあった。
ユダヤ教や、キリスト教や仏教やヒンドゥー教や、数えきれない神様たち。

分けてファイリングしないと、プロパガンダの対策が立てられないから。
自分たちに分かりやすくしたのかもしれない。
とにかくローマカソリックに改宗させねばならないし。
上手くハマったところが大半だったけど、もちろん全部とはいかない。
ローマカソリックも、純粋にオリジナルじゃないし、まあ言ってみたらパクリだし。マリアとイエスは神格化された。
愛と平和と平等を掲げながらも、政治的に強くなっていくローマのプロパガンダとして権力のシンボルともなった。

そんな経緯で信仰心と権力は手を結ぶようになる。ローマ以前にもあっただろうけど。ローマの侵攻は典型的。
それを、現代の私たちは宗教はイコール権力、政治と思い込んでる。
陰謀説信仰と同じ。
宗教というカテゴライズされた世界を信じる事は、つまりヨーロッパ志向であるということ。
科学的論拠みたいなものへの畏敬の念と同じ。

くどいけど「宗教」という概念は、ローマが世界を侵攻する前にはなかった。
もっと緩やかで、お互いを尊重し、神様はあちこちで混ざり合い、同居したりもしていたのだ。

帝国主義が広まって、世界規模の戦争が当たり前になると、分断しないと気が済まない。
だから、文化や肌の色や信仰によっても分断させて争えば、人間の心は弱まり、あっという間にプロパガンダ成功する。

それが今でも定着しているのだ。世界中で。

これは、私の考えになるけど、神は一つ。天地創造の造り主。
その下にさまざまな文化や人種があり、多様で豊かな世界を築くはずだった。
信仰心もその一つ。
多神教だろうと、アッラーだろうと、イエスだろうと、釈迦だろうと、それぞれに役割があり、文化を形成した。
神と上手くコネクトするためのあらゆる方法が創られたと言える。
人間に必要だからこそ、創られた。

旧約聖書で書かれてる偶像崇拝はまた違う意味だと思う。
当時の社会状況をきちんと知らないと、なんでもかんでも偶像崇拝だと言って、嫌味嫌うことになる。
人間は神ではない。

でも、イエスは人間の痛みを共有する為にこの世に送られた神仏混合的な稀有な存在。神のスイッチにより、肉に戻されたり、精霊に戻されたり、その運命に翻弄された1人のシンボリックな存在。
と、考えている。

だから、神の本意はどこにあるのか?
ってこと。
私たち人間が多様で豊かにダイナミックなエネルギーを燃やす為にさまざまな種類の人間や文化を創ったのだ。
単に美しい世界だけでなく、悪の世界ですらその一端を担う。
その中でより良い方向を目指す為に、成長する為には、種類が豊富な方が良い。

その証拠に、遺伝子が遠いと優性遺伝になる。血が濃くなると、遺伝子はたちまち弱くなり問題が生まれてくる。

神は混ざりなさいと言っている。
それが愛し合うための鍵🔑

お互いを尊重するには、混ざり合うのが健全なのだ。その中でもちろん葛藤も生まれるけど、知恵も生まれる。

神神は色々な姿やスタイルや思想や文化を持って、私たちの前に現れた、
先祖たちの知恵により。
積み上げた伝統により。
それは、ときに権力の道具にされ、汚され、しかし、人々の心の支えともなり、今も存在している。

ギリシャ人は、色々と二元論に落ち着いた為に今の科学は宇宙全体の4パーセントしか解明出来てない。
それを人間は、ほとんど征服したかのように勘違いしてるけどね。
その数字は妥当だと思うし、人間なんてちっぽけなんだと思う。
と、科学者達もみんなそう言う。

私たちがコントロールできない領域がほとんどであり、それが神の領域なんじゃないのかなあ。
そして、96%の領域も、私たちの良き方向に行くための努力により、増える可能性もある。
と言うふうに、私は捉えている。

だから、私は自分たちの神様を持ってる人と話すのは好き。
信仰から生まれた文化も美しく感じる。
モスクも寺も神社もね。
クリスチャンなら、同じ神様だから、同じ言語を持ってるのと一緒。
だから話が早いときもあるし、逆に通じないときもあったりして。

あ、でも今の日本の神社には、櫻井よしこと言う偶像崇拝が有ったりするから、ドン引きするけど。(笑)

お互いをリスペクトできる世界を創りたいよね?
宗教イコール戦争みたいな陰謀論からも解放された方が良いと思う。
地震や疫病やエイズも人工的に計画的に人間の仕業だと信じるのも、神を排除した結果生まれたもの。
人間が支配できると思い込んだ、悲観論者達の悲しい思想。気持ちはわかるけど。
それ信じたら、何も信じられなくなるじゃないの?
陰謀論からは希望は生み出せない。

だから、私は神さま信じます!

希望が生み出せない価値観や文化や思想はこの世を暗くするだけだから。

God loves me and you all !!
Just believe in God.