今私はいくつかのミニストリーを掛け持ちしており、更に、我が家にホームステイしていたガーナ人牧師のベナードのデボーショナルというメッセージの翻訳も続けている。
彼は、基本的に休まず毎日書く人なので、当然私も追いつかねばならない。
実際はひと月ほど遅れて翻訳しているのだが。。。
早いもので、その翻訳も190日分を超えてきた。
そうやって沢山の聖書の聖句と触れ合っていると、イエスの優しさに触れる事が多い。
多分それは、ベナードの目線が優しさにフォーカスしてるからかもしれない。
個人的には、スーパーヒーロー的な水の上を歩くイエスとか(マタイの福音書14:25)とか、律法学者や偽善者に対してストレートに物言うイエスが好きだったりするのだが、ベナードがピックアップするイエスの物語やメッセージは、慈愛に満ちていて、どこまでも優しい。
特に、ブログの190日目のヨハネ3章17節から、神が御子を使わされたのは、世をさばくためじゃなくこの世が救われるためだという聖句。
GLORIOUS WORD DEVOTIONAL Day190 JESUS IS NOT CONDEMNING YOU イエスはあなたを非難していない|Pastor Bernard|note
人間はもともと罪びとなのだから、いろいろな罪を犯す。
警察沙汰じゃなくても、例えば裏切りとか、嫉妬とか、いじわるとか、いじめとか、パワハラとか、、、、挙げればキリがないけど。
誰にでも一つくらい自責の念に駆られることがあると思う。
でも、この聖句からは、「そのことを正しなさい!」なんて厳しい言葉は出てこない。
一般的には、神様なのだから間違いは裁くんでしょう?と思いがちだけど。
ベナード牧師は、イエスをプレッシャーに感じないで下さいという。
イエスはあなたを決して非難しない。
むしろ赦すのだから、安心して彼を信じたらいいよ、と言う。
そんなご都合主義な!
と、お怒りにならないで。
イエスは、どこまでも愛で満たす。
罪を裁くよりも、愛の力で満たしてくれるのだ。
そうしたら、人は良くなりたいと前向きな気持ちが生まれる。
自分の罪を断罪するよりも先に、赦しと愛を与えてくれるのだ。
引き算が先で後で足すんじゃなくて、足してから、ゆっくり引けばいいという考え。
これは、リバウンドが少なくて済むような気がする。
いきなり、正しい人間になれ!と言われても、なれないのが人間の弱さ。
聖書やイエスが断罪ばかりなら、人間はこの信仰から離れるしかない。
断罪ばかりじゃ辛い。プレッシャーが半端じゃない。
でも実際は、そういう風に思っている人が多いんじゃないかな。
そして、クリスチャン自身もそのことに気づいてないのかもしれない。
自分を断罪するから、人も裁きたくなるというか。
こうあるべきとか、こうでなきゃいけないとか。。。
そういうところについ入ってしまう。
そういうクリスチャンのコミュニティにいると辛いという、クリスチャンの悩みをよく聞くのだ。
イエスは赦すよと言っているのにも関わらず。
自分が許せないのかもしれない。
日本は良く引き算の文化と言われる。
謙遜という価値観があり、ついつい、自分がダメだとか否定的になりがち。
でも、人間だもの(ね、みつおさん)
そんな凸凹な人間を愛してくれてるのが神様なんだって信じる。
信じようよ!
イエスはあなたを非難しない。
赦して、愛してくれます。
それが真のヒーロー、イエスです。ハレルヤ!!
#スパーヒーロー
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#赦し
#愛で満たす
#あなたは非難に当たらない