日本のみならず、主に先進国で猛威を振るっているのが、コロナウイルスよりも根強い「承認欲求ウイルス」というやつです。
これは、どうしたものか。。。
かなりしつこい。
果てしない自分との闘いであります。
私の個人的な経験から語る時、ある意味説得力に欠けるのです。
何故なら、私は確信犯的に他者と違うことを主張したい性格だし、その性格をまた自分で気に入っているから質が悪いのです。(笑)
職種が公務員であるにもかかわらず、教員であるにもかかわらず、初めからアフロヘアだし、服が派手だし(よく教育委員会の先生方から怒られながらも)そのスタイルを変えようとしたこともないし、授業でゴスペルを教えることを13年間やめたこともないし、批判があっても全く気にしたことも無いからです。
何故そこまで強くなれたのでしょうか?
先ずは自分を分析してみると、、、、
もし、髪形を変えたら?
もし、授業でゴスペルを教えることを止めたら?
もし、無難な服しか着なかったら?
それは、死んでいるのと同じだからでしょう。
自分が自分でいられないことは、人間にとって一番つらい事です。
人権を失うことと同じです。
自己の尊厳を失うことと同じです。
周りの他人に「今すぐ消えろ」と言われているのと同じです。
そんなこと耐えられますか?
そして、周りの他人がそこまでの権限を持っていますか?
管理職や、教育委員会がそこまでの存在否定を出来ますか?
出来ません。
その人たちがそのような権限を持っていると、自分が思い込んでいるだけです。
実は法律的にも、モラルとしても、企業の契約書にも個人の自由な表現を禁じたり、警察に通報したりする一切の権限を持っていません。
「そんなことわかっているよー」
という声が沢山聞こえてきそうですが。。。
では、私はこの13年間でどうして、自由な自分の生き方、見た目を周りに認めさせてきたのでしょうか?
公務員という学校という、最も保守的で画一的な職場で貫けたのはどうしてでしょう?
今や、私を指導するいかなる管理職も教育委員会の人たちも居ません。
私が怖いのかも?理論武装出来る人とわかっているから?
人によっては、そんなに自由にやりたければ、私立の先生になれば?とか、専門学校の先生になれば?という声もあるでしょう。
でも、私は敢えてこの現場でこの仕事の中で実現したかったのです。
子どもたちに自由に生きるということを教えたかったから。
周りが認めた理由は2つ。
誠実に仕事をこなしたということ。(当たり前に真面目に仕事をした)
子どもたちに愛情を注いだこと。(授業という自分の役割を果たした)
このことに尽きると思います。
もしこれを読んでいるあなたが、いつも「いい人でいること」「万人が認めること」
ばかりを考えているとしたら、こう考えるようにしてください。
私のやるべきことはこれとこれとこれ(仕事の役割)。だからあとは自由なんだと。
それでも、いやあー、難しいよ。頭ではわかってても実際は気にしてしまう人へ。
自分の事を嫌われる前提で考えてみましょう。
「変わってる」「頭おかしい」「空気読んでない」などなど、これを自分の代名詞にしてみます。私変わっているんで、私頭おかしいんで、私空気読めないんで・・・・
等々、その前提で存在すると、意外にも楽になります。
「変わり者の頭のおかしい空気読めない私」って、私はとっても気に入ってます。
つまりは、それって「自由」っていうことだからです。
人間て自由でいられると、すごー------く幸せです。
加えると、私などは言いたいことを言ってますから、人が言いにくい事を平気でずけずけ言いますから、人によっては避けたい人となるわけです。
人によっては、私を見ただけでUターンしたりもします。(笑)
でもどうしてそれが平気かというと、自分に代名詞を付けてあげられるからです。
このケースだと「もうおばちゃんだから余計なことばかり言う私」ということにしてあげます。まあ、事実そうですしね。(笑)
でもこのような実験を繰り返してて、避けたり嫌ったりする人も居ますが、逆に信頼してくれたり、好きになってくれる人もいるわけなんですね。
人数的には半々かなあー、まあ、トータル的には好きになってくれる人の方が多いと感じますね。
そもそもなんでほとんどの人から評価されたいのでしょうか?
夫婦でも家族でも一人一人違うし、分かり合えないことだらけなのに。
他人に一様に評価してもらうなんて、傲慢じゃないですか。
ただの自己愛です。少なくとも私はそう思います。
自分に変人として代名詞を付けて、嫌われる前提にしておくと、とても効率よく自由になれるし、それを好きになってくれる人もいたりして、またまた幸せになれます。
今の人気のYutuberはそれを実現できてるんじゃないかな?ひろゆきとか。
避けたり嫌ったりする人の背中は追わず、逆に「さよーならー」と手を振ってあげましょう。仮に自分が好かれたいなと思っていた人であっても、価値観が違うわけですし、ありのままの自由な自分を好きになれない人なんて、自分のとってなんの得にもならないじゃないですか。
積極的に嫌われたり、ヒンシュクを買うのをお勧めします。
まあ、ただ、仕事はちゃんとする。
当たり前ですが、そこが肝心です。
学生さんなら、勉強はする。
1つくらいはちゃんとやるってことです。勉強が嫌ならバイトや部活をちゃんとやる。など、どこかの部分で真面目さをアピールしておけばオッケーです。
そこは冷静に。
自分に代名詞を付けてあげるなら・・・・例えば。
「人間不信なんです」「頭狂ってるんです」
「あたまいかれてるんです。親も」
「変わってるんですみません」
「バカなんです」等々・・・
自虐ネタで武装して、あとは好きにふるまう。
自由に発言する。
好きな髪形や服装で行く。
校則は法律ではありません。
人間は本来「自由」を求める生き物なのです。
だから本来はそのままでいいのだけれど、社会というものが求める理想に自分を近づけようとするなら、そのツケはどこに来るのでしょうか?
あなたの「心」です。
心の闇を深くするだけです。
求めるものに合わせるのではなく、自分の価値観に周りを引き寄せる、または無視するのでよいのではないでしょうか。
自分で自分にいい感じの「レッテル」を貼ってあげて、楽に自由に生きてください。
何とも言えぬ「幸せ」を感じる事でしょう。
まあ、もちろん、無難に目立たず、ひっそり生きるのが幸せな方には当てはまりませんが。(笑) そんな方はもうすでに自己が確立されていて、ひっそりと生きることに専念されている事でしょう。
何か自分らしさを出してみたい人、表現してみたい人は是非トライしてください。
そして、「私やることはやってますけど、何か?」くらいの開き直りが出てきたら💮
承認欲求はコロナよりも怖いウイルス。
そう思う今日この頃です。
神の祝福を!
#承認欲求
#嫌われるコツ
#自由
#自己確立
#自虐的レッテルを貼れ
#変人は自由
#開き直り
#真面目に変人になる