なんていう大胆なタイトルでしょうか。
我ながら驚きつつもこのことについて書いておかなければと思い敢えてこのタイトルを付けました。
昨今の統一教会の問題や、様々な宗教団体にまつわる良くない情報は今に限らず私の子供時代から常にメディアによって拡散されてきたような気がします。
その度に人々はカルト宗教は恐ろしい、キリスト教はほとんどカルトではないか?
という疑惑すら日本では広まっているように思います。
私の祖父は牧師で祖母は教会のオルガニストで父方はクリスチャンホームと言われる伝統的な家族でした。
しかし、父含め叔父たちも教会育ちであるにもかかわらず、信仰深い生活を否定して自由に好きなように生きてきました。
さぞかし祖父母たちはがっかりしていたことでしょう。
おそらく禁欲的で保守的な教会の生活スタイルが窮屈だったのでしょうし、親への反動というのもあったかもしれません。
それは置いておいて、わたしにとってはキリスト教の文化は決して悪いものでもなく、
特に家族中で賛美するのはとても美しい時間でした。
そして私は第3子を産んで間もなく、神様に導かれました。
それもアメリカの黒人の讃美歌「ゴスペル」によってです。
自分なりにもクリスチャンになるにあたって、この10数年神学の本やキリスト教の歴史書などを読み、その成り立ちや聖書のメッセージについていろいろと考えてみました。
旧約聖書にはユダヤ教としての神への畏敬の念や、人々の罪、神の偉大さが力強く示されています。
キリスト教はイエスキリストが誕生してからの信仰ですから、新約聖書におけるイエスの奇跡やその言動すべてが私たちクリスチャンの指針になっています。
当たり前ですが、そこに献金をもって自分を犠牲にしなさいなどとは書かれていません。カルトのリーダーたちは巧妙に信仰を煽って、人々に恐怖心を与え献金集めをしているだけなのです。
もちろん教会への心積もりとして献金はしますが、高額な献金など聞いたことも見たこともありません。金額も自由です。
本題に戻りますが、キリスト教とは、イエスが残した全ての言葉や行動それらを生き方のガイドとしてより良い自分を創っていくということに他なりません。
イエスは人間の姿をした神ですから、その正しさ、優しさ、勇敢さ、神への信仰深さなどを少しでも自分の中に取り入れていくのが本来のキリスト教の姿なのです。
イエスは罪深い人間をこよなく愛しました。
何故なら人間は神様が創られたからです。(旧約聖書 創世記1:26-31)
欠点だらけの人間でも神様の大切な子供です。
そしてイエスは何よりも弱い立場に人たちに目を向けました。
身体や心に障がいや病のある人たちを癒し、時に死んでしまった命を蘇らせ、娼婦や犯罪人にも赦しと優しさを示しました。(マルコ、マタイ、ルカの各福音書)
弟子たちには深い愛を持って厳しくその信仰への導きを表しました。
まさに生ける神の愛をそのまま人間に与えてくれた人です。
人間を心から愛した人です。
新約聖書を読めば、それは至る所に書かれていて、胸を打たれます。
イエスは間違いなく「愛」の人であり、「神の愛」を伝えるためにこの世界に送られたたった一人の子どもなのです。
そんなキリスト教が、多くの人を惹きつけこの2000年以上もの長い間、止まることなく信仰を持つ人たちがいる。これは歴史的に見ても凄いことです。
(もちろん他の宗教も何千年という長い期間信仰を集めています。)
聖書は400年間の編集期間を経て、今でも世界中でトップクラスのベストセラーです。
メッセージを文字化出来たのもユダヤ教や仏教同様、とても分かりやすい理由の一つです。何故ならイエスの愛は普遍的で誰にでも平等に理解が出来るからだと思います。
クライスト+マス=クリスマスという言葉にも表れているように、マス(多くの人たちを一つにする)ということがこのキリスト教の目的であり、献金を集めたり、政治的に支配することが目的ではありません。もし、そのような教会や宗派があれば、それはイエスキリストの精神を冒涜するものです。
神様が一番悲しむことです。
「キリスト教とは、神様の愛によってみんなが一つになることなのです」
実際にクリスマスは宗教関わらずお祝いの行事として長年行われていて、世界中がお祝いというムードに包まれますよね?
これも凄いことです。他の宗教になかなかこのようにマスを取り込む行事が無いという点でも、イエスの存在感は人間に寄り添ったものだと感じます。
イスラム教徒も仏教徒も信仰は違えど、このお祝いのムードに心が温まるはずです。
イエスはその十字架によって、世界中の人にそのことを永遠に伝える「神の子」
たったひとりの・・・神の子どもなのです。(人間の姿をした)
メッセージはとてもシンプルです。
神様は一人一人を愛してるということです。
その愛を受け取ってほしい。
そのために私たちクリスチャンは、イエスの行った愛の言葉や行動一つ一つを伝え、そして自分たちもそうありたいと意識して行動していかなければなりません。
完璧じゃなくても。
少しずつでも。
キリスト教は「神様の愛」そのものだということをぜひご理解ください。
イエスキリストのメッセージは一人一人を「解放に導き」「愛で包む」というものです。これを読んでくださった方が少しでも、その偏見から解放されますように。
このクリスマスにぜひ聖書や教会、ゴスペルに触れていただき、イエスの愛で包まれますように。
2022年のクリスマスが神様の祝福と恵みに溢れますように。
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