私のブログにしては重いテーマなので、副題に解放というポジティブな言葉も入れてみました。それにしても過去一深いテーマです。
今月になんと、2度目の離婚を経験しました。
1度目は18年前に日本人の夫と、3人の子連れ離婚でした。
私もまだ40代前半でパワーもあり、一度決めたら迷わず前に進むタイプなので、がむしゃらに子育てとフルタイムの講師とそしてゴスペルライブとを3足4足のわらじで夢中で駆け抜けました。
気が付いたら、3人の子どもたちは無事自立し、次女は結婚し孫も生まれて本当にこの15,6年を実家の両親や友人にも支えられ、なによりも神様に守られて来ました。
そして50代も後半に差し掛かった時に、2人目の夫(アフリカ人)と出会いました。
真面目で愚直で不器用だけど信仰深いクリスチャンというイメージでとても好感が待てました。年齢差もあったけど、クリスチャンとの結婚、特にアフリカ人のクリスチャンとの結婚を強く望んでいた私は、勢い余って籍を入れました。
勢い余ってたのはお互いにだったと思います。
どちらの家族も違う理由で反対していたにもかかわらず・・・・
中年のカップルを心配する家族たち。
それはさておき、結婚生活が始まり、2か月目くらいから全てがかみ合わなくなりました。会話も、行動も全て。
後からネットで調べたら、私たちは共依存という結ばれてはいけない関係でした。
でも、私としたら反対を押し切った手前もあるし、自分の努力も足りないんだと、
必死に修正しようとしたのです。
しかし、それが更に仇になるというジレンマに陥り大喧嘩が絶えなくなりました。
お互いがストレスを感じるという負の連鎖でした。
そして彼も私も心が疲弊して、別居に・・・結果離婚を決意することになりました。
今回はさすがに、このかみ合わない原因を知りたくて、カウンセリングも受けました。
臨床心理の先生によると、自分が無い(幼少期の親からの支配などで)人を助けると、益々その人の人格的なバランスが崩れて行ってしまうから、助けない方が良いとのアドバイスを受けました。
その時は半分理解できて、残りの半分は理解できない状態でしたが、後からこの一言がとても胸に刺さることになります。
よくよく調べてみると、いわゆる私たちは共依存関係で、私も依存させる原因があり、
彼にも依存する原因があり、あまりにもその相性が悪い意味で合いすぎてたという事が分かりました。
私はパートナーに自己犠牲を自分に強いることで自分の存在意義を確認する気質があり、長女に対しても内面的な干渉を繰り返すことがありました。
そのせいで本当によく対立してましたね。
そのことも今回の結婚と離婚で明確になったことの一つです。
相手のためにと思いすぎて、つい干渉する。そのことが相手との距離感が上手く取れなくなるという事態になります。
分かりやすく言えば、「愛情過多」なのです。
相手が依存傾向のある人だと、それが嫌で仕方ないにも拘わらず、離れられない。
お互いが魂を縛り合う「ソウルタイ」に陥ります。
振り返れば、最初の夫とも半分そのような関係で、次に真剣に交際していた彼とも典型的な共依存でした。
考えたら自分が恐ろしい。。。
そして、今回の夫(元)。クリスチャン同士だからなのか、今回はソウルタイがとても強く、苦しかったのです。
双方に相手の感情や特に苦しみがリアルタイムで飛んでくる。
まるで、へその緒が繋がっている母と子のように。
何度も離れようとするけど、離れたらもっと喪失感に襲われそうで、怖くてお互いに離れらないという悪循環でした。
たった1年8か月だったけど、10年くらいに感じられた重く長い時間でした。
2人とも実年齢よりも老けてしまいました。(鏡を見るたびにショック)
ソウルタイの怖いところは、最悪な時と、とても仲良くなる時とがあることです。
これが愛着と敵対なのです。
変にマッチングしてしまうのです。悪い意味で。
だから離れられない。よくDVのパターンもこれに当てはまると思います。
どちらかが、疲弊して心が壊れるまで続いてしまうことも多いと思います。
私は今回決断出来たので、鬱状態にはならず済みました。
彼もおそらくソウルタイが外れて安定したのでは?と想像します。
そして長らくソウルタイだった娘とも、私が自覚したことで(彼女から相当きつい指摘を受けたからですが)、その軛は外れました。感謝。
これが神の計画だったと思います。
うちは、母方が代々母親と娘のソウルタイが続いており、もれなく私と娘もそのような関係になってしまいました。
受け継いではいけないものを受けついでしまっていました。
でも還暦になり、それに気づけたのです。
自分としては、代々引き継いでしまったものを断ち切れたのだから、良しとしようという思いでいます。
そしてパートナーとの共依存も今回の離婚で終息しました。
二度と同じ関係は繰り返さない。
もしもう好きな人が出来なくてもそれは神さまだけが知ることです。
それに素直に従うのみ!
人間ではなく、自分の肉でもなく、神様の御心にきちんと向き合うこと。
その声を聴くこと。
結婚を考えた3人のパートナー(2人目は未婚でしたが)、3度の共依存関係。
これにて終了です。
自分できちんと幕を下ろせたこと、それを後押してくださった聖霊の力、神の守りに本当に感謝します。
今回ばかりは、神様の力をとてもリアルに感じました。
不思議なことが沢山起きたからです。
とても霊的な体験と時間でした。
そして沢山のアドバイスをくれた友人や家族にも感謝。
心配をかけました。
最後に私を離婚に向かわせた大きなきっかけは、15年慣れ親しんだFace Book
のアカウントが突然停止されたこと。Oh my God!
最初の離婚からの思い出が全て詰まった15年が一瞬にしてバン!!!!され。
私の新しい歴史が始まったのだと、(自己満足ですが)そう感じました。
バンしたのは悪魔サタンではなく、Metaでもなく、むしろ神様であると信じます。
第2コリントの5章17節
17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
私は今、全てのくびきから解放され、依存させていた、また依存していた自分を捨てることが出来ました。
完全に自由になったのです。
誰にも見返りを求めず、期待せず、神様だけを信頼し、生きることを教えるために、神はアフリカ人の非常に霊的な夫を私に与えました。
だから結婚を決めようとした時に預言者の牧師でさえ、祈っても祈っても何の問題も出てこないと言ったのです。
彼の母国の霊的な油注ぎのある母ですら、この離婚は預言できなかったのです。
15日間祈っても祈っても、その核心に触れる聖霊の言葉がなかったのは、神が唯一支配していたからでしょう。
その深い愛に私は感動しました。
世代にわたる呪いを断ち切るために、また私の依存的人格の問題を解放するために、私たちは一旦結ばれ、そして短期間で終わった。
いやあー、正直疲れました。
でも、今全てがクリアになり、娘ともほどよい距離感でこれからやっていける嬉しさも感じています。
平安が来ました。
きっと元夫にも神様からの恵みが来ることでしょう。
彼の軛も外され自由になってほしい。
私たちはある意味運命共同体でした。
全ては必然です。
何も無駄なことは無いから。ハレルヤ!
伝統的なクリスチャンの先輩たちからは、「2回も離婚するなんて!」と𠮟られそうですが、イエスキリストはその十字架で私たちの罪を贖ってくださいました。
イエスの憐れみにより、また私は新しい人生を与えられました。
ハレルヤハレルヤハレルヤ!
この人生を誇りに思います。
七転び八起き。ピンチはチャンス。失敗は成功の始まり。
還暦からの再スタートは、本当の自分の始まりです。
全てを神に委ねて。アーメン。
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