AiLydia’s diary

ゴスペルに関すること全てを書いていきます!歴史、背景、歌詞や曲の解説、おススメゴスペルアーティストなどなど!ゴスペルをメインに私の人生や想い、音楽や信仰に対する情熱を日々の出来事から綴っていきたいと思います。

共依存とソウルタイー愛着と敵対からの解放

 私のブログにしては重いテーマなので、副題に解放というポジティブな言葉も入れてみました。それにしても過去一深いテーマです。

 

今月になんと、2度目の離婚を経験しました。

1度目は18年前に日本人の夫と、3人の子連れ離婚でした。

私もまだ40代前半でパワーもあり、一度決めたら迷わず前に進むタイプなので、がむしゃらに子育てとフルタイムの講師とそしてゴスペルライブとを3足4足のわらじで夢中で駆け抜けました。

気が付いたら、3人の子どもたちは無事自立し、次女は結婚し孫も生まれて本当にこの15,6年を実家の両親や友人にも支えられ、なによりも神様に守られて来ました。

そして50代も後半に差し掛かった時に、2人目の夫(アフリカ人)と出会いました。

真面目で愚直で不器用だけど信仰深いクリスチャンというイメージでとても好感が待てました。年齢差もあったけど、クリスチャンとの結婚、特にアフリカ人のクリスチャンとの結婚を強く望んでいた私は、勢い余って籍を入れました。

勢い余ってたのはお互いにだったと思います。

どちらの家族も違う理由で反対していたにもかかわらず・・・・

中年のカップルを心配する家族たち。

 

それはさておき、結婚生活が始まり、2か月目くらいから全てがかみ合わなくなりました。会話も、行動も全て。

後からネットで調べたら、私たちは共依存という結ばれてはいけない関係でした。

でも、私としたら反対を押し切った手前もあるし、自分の努力も足りないんだと、

必死に修正しようとしたのです。

しかし、それが更に仇になるというジレンマに陥り大喧嘩が絶えなくなりました。

お互いがストレスを感じるという負の連鎖でした。

そして彼も私も心が疲弊して、別居に・・・結果離婚を決意することになりました。

 

今回はさすがに、このかみ合わない原因を知りたくて、カウンセリングも受けました。

臨床心理の先生によると、自分が無い(幼少期の親からの支配などで)人を助けると、益々その人の人格的なバランスが崩れて行ってしまうから、助けない方が良いとのアドバイスを受けました。

その時は半分理解できて、残りの半分は理解できない状態でしたが、後からこの一言がとても胸に刺さることになります。

 

よくよく調べてみると、いわゆる私たちは共依存関係で、私も依存させる原因があり、

彼にも依存する原因があり、あまりにもその相性が悪い意味で合いすぎてたという事が分かりました。

私はパートナーに自己犠牲を自分に強いることで自分の存在意義を確認する気質があり、長女に対しても内面的な干渉を繰り返すことがありました。

そのせいで本当によく対立してましたね。

そのことも今回の結婚と離婚で明確になったことの一つです。

相手のためにと思いすぎて、つい干渉する。そのことが相手との距離感が上手く取れなくなるという事態になります。

分かりやすく言えば、「愛情過多」なのです。

相手が依存傾向のある人だと、それが嫌で仕方ないにも拘わらず、離れられない。

お互いが魂を縛り合う「ソウルタイ」に陥ります。

 

振り返れば、最初の夫とも半分そのような関係で、次に真剣に交際していた彼とも典型的な共依存でした。

考えたら自分が恐ろしい。。。

そして、今回の夫(元)。クリスチャン同士だからなのか、今回はソウルタイがとても強く、苦しかったのです。

双方に相手の感情や特に苦しみがリアルタイムで飛んでくる。

まるで、へその緒が繋がっている母と子のように。

何度も離れようとするけど、離れたらもっと喪失感に襲われそうで、怖くてお互いに離れらないという悪循環でした。

たった1年8か月だったけど、10年くらいに感じられた重く長い時間でした。

2人とも実年齢よりも老けてしまいました。(鏡を見るたびにショック)

ソウルタイの怖いところは、最悪な時と、とても仲良くなる時とがあることです。

これが愛着と敵対なのです。

変にマッチングしてしまうのです。悪い意味で。

だから離れられない。よくDVのパターンもこれに当てはまると思います。

どちらかが、疲弊して心が壊れるまで続いてしまうことも多いと思います。

私は今回決断出来たので、鬱状態にはならず済みました。

彼もおそらくソウルタイが外れて安定したのでは?と想像します。

 

そして長らくソウルタイだった娘とも、私が自覚したことで(彼女から相当きつい指摘を受けたからですが)、その軛は外れました。感謝。

これが神の計画だったと思います。

うちは、母方が代々母親と娘のソウルタイが続いており、もれなく私と娘もそのような関係になってしまいました。

受け継いではいけないものを受けついでしまっていました。

 

でも還暦になり、それに気づけたのです。

自分としては、代々引き継いでしまったものを断ち切れたのだから、良しとしようという思いでいます。

そしてパートナーとの共依存も今回の離婚で終息しました。

二度と同じ関係は繰り返さない。

もしもう好きな人が出来なくてもそれは神さまだけが知ることです。

それに素直に従うのみ!

人間ではなく、自分の肉でもなく、神様の御心にきちんと向き合うこと。

その声を聴くこと。

 

結婚を考えた3人のパートナー(2人目は未婚でしたが)、3度の共依存関係。

これにて終了です。

自分できちんと幕を下ろせたこと、それを後押してくださった聖霊の力、神の守りに本当に感謝します。

今回ばかりは、神様の力をとてもリアルに感じました。

不思議なことが沢山起きたからです。

とても霊的な体験と時間でした。

 

そして沢山のアドバイスをくれた友人や家族にも感謝。

心配をかけました。

 

最後に私を離婚に向かわせた大きなきっかけは、15年慣れ親しんだFace Book

のアカウントが突然停止されたこと。Oh my God!

最初の離婚からの思い出が全て詰まった15年が一瞬にしてバン!!!!され。

私の新しい歴史が始まったのだと、(自己満足ですが)そう感じました。

バンしたのは悪魔サタンではなく、Metaでもなく、むしろ神様であると信じます。

 

第2コリントの5章17節

17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

 

私は今、全てのくびきから解放され、依存させていた、また依存していた自分を捨てることが出来ました。

完全に自由になったのです。

誰にも見返りを求めず、期待せず、神様だけを信頼し、生きることを教えるために、神はアフリカ人の非常に霊的な夫を私に与えました。

だから結婚を決めようとした時に預言者の牧師でさえ、祈っても祈っても何の問題も出てこないと言ったのです。

彼の母国の霊的な油注ぎのある母ですら、この離婚は預言できなかったのです。

15日間祈っても祈っても、その核心に触れる聖霊の言葉がなかったのは、神が唯一支配していたからでしょう。

 

その深い愛に私は感動しました。

世代にわたる呪いを断ち切るために、また私の依存的人格の問題を解放するために、私たちは一旦結ばれ、そして短期間で終わった。

いやあー、正直疲れました。

でも、今全てがクリアになり、娘ともほどよい距離感でこれからやっていける嬉しさも感じています。

平安が来ました。

 

きっと元夫にも神様からの恵みが来ることでしょう。

彼の軛も外され自由になってほしい。

私たちはある意味運命共同体でした。

全ては必然です。

何も無駄なことは無いから。ハレルヤ!

 

伝統的なクリスチャンの先輩たちからは、「2回も離婚するなんて!」と𠮟られそうですが、イエスキリストはその十字架で私たちの罪を贖ってくださいました。

エスの憐れみにより、また私は新しい人生を与えられました。

ハレルヤハレルヤハレルヤ!

この人生を誇りに思います。

七転び八起き。ピンチはチャンス。失敗は成功の始まり。

還暦からの再スタートは、本当の自分の始まりです。

 

全てを神に委ねて。アーメン。

 

#ソウルタイ

共依存

#愛着と敵対

インナーチャイルド

#解放と自由

#イエスの憐れみ

#本当の自分に出会う

 

 

 

2025'BET Awardsからーなんだかんだカークの凄さ!!

ハレルヤ!

連投になります。

昨夜久しぶりに大興奮して中々眠れませんでした。

BETAWARD25周年記念の動画。

大御所カークフランクリンの圧巻のパフォーマンス!

御年55歳、どうですか、このパワー、油注ぎ、振り切れるこのグルーヴ、演出、

誰が真似できます?

どうかこのまま80まではステージで飛んでほしい。

世界中探したって、未だ唯一無二ですよ。

まあ、日本は世界的に見てもかなりコアなカークのファンが多い国だとおもうし、

カーク一択というくらい国内のクワイヤーは彼をコピーしてますね。

彼の全盛期は1990-2005年くらいでしょうか。

それはカークがというよりも、アメリカ全体のゴスペルワーシップが停滞期に入っていたからです。おそらくコロナまでは。

 

まあ、それは置いておいて。

今回のBETは25周年ということで、アメリカ全体の黒人カルチャーや音楽業界が何となく頭打ちになってる雰囲気の中、このカークのパフォーマンスは久しぶりに90年代の黒人パワーとか、神様の祝福というものを見せつけたと思います。

絶妙にエンターテイメントに絡めながら、最高のコンテンポラリーブラックの美味しいところを余すことなく表現して、神様への最高の賛美になりました。

 

理屈じゃ無い。

 

これだけオリジナリティとエネルギーに溢れる情熱的で聖霊との共同作業が出来る民族はやっぱりアフリカ由来の黒人だけ。

本当にそう感じるし、いつだって彼らはイエスキリストと共に在る。

そこがまたこの洗練された楽曲やスピリットに深く刻まれてる。

パフォーマンスしてる誰もがイエスと共に在るから。

その説得力。その神との一体感。

それが振り切れてる理由。

だからBETの他のどのパフォーマンスよりも輝いてて、懐メロ感ゼロ!

 

新しいダイバーシティのゴスペルが席巻するアメリカ国内においても、オンリーブラックな極み。輝きは未だ健在と見せつけた。

これも神の計画なんですな!

 

GOD IS GOOD ALL THE TIME!!!

LOOK AT HIM!!!!

Kirk Franklin Closes Out the BET Awards With a Praise-Filled Medley Featuring Cheryl “Salt” James

 

#カークフランクリン

#kirkfranklin

#betawards2025

#hollyspirit

#blackisbest

#GOSPEListhehighest

兎にも角にもBlack is best!!!-天使にラブソングから見る

ハルルヤ〜‼️

本当にこの映画を見るたびに強く強く思うことは、黒人に流れる崇高なスピリットの素晴らしさ。アフリカからの霊的なパワー。

もうそれに尽きる。

 

理屈じゃない。

 

なぜ人はこの映画に魅了されるか?

なぜ人は黒人音楽を追いかけるのか?

なぜ人はヨーロッパ由来の古典的な讃美歌よりも、ポップで楽しい、ビートのあるゴスペルを好むのか?

全ての答えはアフリカ由来の黒人のスピリットにある。

 

私たち人間は、聖と俗、つまり霊的でいて肉的、

つまり常に自分の中にある罪の欲望と同居してるのだ。

その罪の意識から逃れたくて、ローマカソリックいや、旧約聖書新約聖書の中の律法学者たちは、自分達を聖なるものと位置付けた。

それがそもそもの間違いである。

 

私たちは自分の罪からは逃れられないのだから。

それを意図的に排除したところで、焼け石に水

だから、アフリカ由来の黒人達は、罪を受け入れた形で、神と繋がったのだ。

排除しようとせずに、聖と俗が同居した状態で、生き、時に悔い改め、そして、何よりも生きることを思い切り楽しんだ。

それが黒人のゴスペル。

歌詞は神への信頼と愛に溢れてる。

しかし、サウンドは全く俗的なエンタメ感たっぷり、そりゃ楽しい。

平たい言葉で言えば、文武両道。

清く正しく神様と繋がり、しかし、肉の罪を曝け出してる。

これが正しい生き方。

肉を排除して、霊だけで生きると、アンバランスになり屈折した考えが生まれる。

人間はエバが善悪の実を食べてから、そのようにデザインされたのだから、それに逆らうことは無駄というもの。

 

でも西洋人はなぜか、生きたまま清くなれると信じた。聖なるものになりたくて、神に全てを捧げ、教会では沈黙と静寂も守り、息苦しさの中生きようとした。

その事にアンチを唱えたのがイエスキリストではないか?

罪人を許し、自らがその生贄となり、正しい方向に導いた。そしてまた、許しを与えた。

 

仏教もまた、生きながら煩悩を断ち切り、悟りを得て聖なるものになろうとした。

人間は自分の罪を許そうとしない。

罪があることを非常に嫌い、消そうとする。

 

それは神様の計画の中では、そもそも無理なのだ。

だから、だからー、アフリカ由来の黒人達はそれをよく理解している。

肉も自分、罪も自分の一部だと。

生きながら聖なるものになるのではなくて、罪人として人間らしく生きて、楽しんで、神についていけば良い。

ゴスペルはそう教えてる。

 

映画の中の古いカソリック教会は、人も来ず寂れていた。

しかし、そこに彗星のように俗も俗、罪の町リノから世俗のシンガーが迷い込み、シスター達に世俗的な讃美歌を教えて教会は再生される。

最後のシーンは、法王の前で、アフロヘアのまま指揮を振るデロリス。

とても象徴的。

アフリカ由来の黒人のバランス感覚、寛容さ、唯一無二のスピリットが、一つの教会を救う。

 

これが正しい生き方。

健全で、前向きで、正直な。

その事を教えてくれる。

 

だから、だからー、Black is best!!

No matter what !!

Hallelujah Hallelujah Hallelujah !!!!

 

https://youtu.be/VPpd-6X3tEo?si=zfP0um2t7jaLdPIK

https://youtu.be/u4aF5x8TCFM?si=h8jIDHrxa8C9J8qE

 

#blackisbest

#africanspirit

#天使にラブソングを

#聖と俗

#霊と肉

#罪人

#イエスの許し

#gospelisnest

「感謝」という癒しー神さまから与えられた知恵

 3月から、いやおそらく年明けからか、不穏な空気が我が家を覆っていた。

夫も私も仕事がかなりタイトになり、疲れとストレスの中喧嘩が絶えなくなって、

疲労がマックスになった時にサタンはやってくる。

サタンは争いごとが好きなのだ。

悔しいけど、コントロール不能になってしまった。

人間とは弱い生きのなのです。あー情けない・・・

そして、ようやく仕事が一段落した3月末に2年ぶりに右足の坐骨神経痛が悪化。

もう、それは痛いのなんのって。

右足と膝が曲がらないくらい痛い。

あーもう歳だわー。

と気持ちは落ちていく一方。

そんな最中、一緒に住んでた娘は海外に移住。

夫は単身赴任で身体の負担を減らすことにした。

色々なことが片付いたと思っていたけど、急に一人暮らしなってこれまた、寂しいのなんのって。本格的な一人暮らしって実は初めてなのだ。

数か月子どもたちが居なかった時期はあるけど、こんなに長期でひとりになるのは人生でも初めての事。

 

家が静かすぎる。

老猫チェリーがたまに鳴くくらい。

とにかくけんか相手も居ないのだから、益々気持ちが落ち込む。

しかし、相変わらず仕事は激務。

身体と頭がフル回転の中、坐骨神経もよくならず、さあ、待ってましたとばかりに、

悪魔の戦略に引っ掛かり、友人の乗っ取りアカウントに騙されて詐欺被害にまであってしまった。

なんてこと!神様どういうことですか???

自己嫌悪で眠れぬ日々。

 

ベッドの中で人知れず涙が出たが、小さな声で「神様助けてください」

と祈っていた時に、その癒しは起きた。

子ども時代からのいろいろな事が頭をよぎり、何故だか良い事だけが思い出された。

良いメモリーだけのフラッシュバック。

子どもの時、父は仕事で居なかったけど、母がいつも楽しくおにぎりを持って近くの森林公園などでピクニックをしたこと。

誕生日パーティを開いてくれたこと。

そこから、思春期になり、様々な人たちとの出会いで、音楽の道に進めたことなどなど

この60年間の人生が素晴らしい神様の計画に満ちていることを実感した。

そして聖霊からの声は「感謝しなさい」。

感謝という2文字が心に一杯になって、自分の人生や自分自身を全肯定できた。

心の中にどんよりとした重い空気感が、すうーっと軽くなり、平安と喜びに満たされた。イエスキリストの愛は、弱った時にこそ強く表れるのだ。

「感謝」という2文字がこれほど癒しの意味を持っているなんて!!

神様素晴らしいです。

 

感謝することは自分を肯定する事。

感謝することは癒される事。

感謝することは喜びにあふれる事。

命ある事にも感謝して、今日の日にも感謝して、神様に出会えて事にも感謝して、

友人や家族にも感謝して。

その夜は眠れなかったのに、とても心が満たされて1日仕事が出来た。

 

その後、少しずつ一人にも慣れてきている。

そして詐欺被害にあったから、旅行でもいこうと友人が企画してくれて、山形に癒しの旅が出来た。ハレルヤ!

神様に感謝。

本当に辛くて弱った時に、意識的に感謝をしてみることをお勧めします。

これが神様の知恵です。

感謝を忘れ、自己憐憫に陥るとすうーっとサタンが近寄ってくるから要注意。

この時以来、毎晩詩編91編を英語で聞いてから寝るようにしている。

とても効果的。

孤独感もうすれるから。

是非おためし下さいね。

 

山があれば谷がある。

夜が来れば朝が来る。

善があれば悪もある。

嵐の後は凪になる。

エスは勝利する。

 

Psalm 91: The Most Powerful Prayer in the Bible

 

第 91 章

いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。
12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。
13 あなたはししと、まむしとを踏み、若いししと、へびとを足の下に踏みにじるであろう。
14 彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう。彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。

 

#感謝

#癒し

#イエスの愛

#詐欺

#回復

詩編91編

#守り

#神の計画

#イエスの勝利

ありのままで和になる事それが愛ーポリフォニーとハーモニー

  最近心にグッと来た言葉がある。

それがポリフォニー(協和性)。

統合失調症のケアに使われるオープンダイヤログという対話の目指すものが、このポリフォニーであるということ知った。

対義語はモノフォニーではあるけど、もうひとつの言葉ハーモニー(同調性)ということと比較してみよう。

 

ポリフォニーはそれぞれの価値観や感性を変えずに、あくまでも平行線で対話することを目指す。人は他人を理解できないから、理解しなくてよいのだ。

ただ、理解はできないが、お互いに興味は持とうというスタンス。

ハーモニーは同調を目指す。同じ質の同じ価値観に一致していくという考え方なのである。これはかなりお互いに負荷がかかる。

ある程度自分の価値感と感性を殺していくことになるからだ。

個を犠牲にして、一つの考え方に同調していかなければならない。

思い浮かぶのは、戦争に向かう時のプロパガンダであったり、独裁主義の国家であったり、カルト宗教の信仰であったり。。。等々。

ひとつの色に染まらなければならないのだ。

想像しただけでかなり苦しい。

夫婦であても一つの色にはならない。

お互いの違いを認め合い、それでもところどころ興味を持って並行していくしかない。

何処まで行っても違う人間なのだから。

 

これを音楽に照らしてみよう。

ポリフォニーなら違う旋律がそれぞれ個性を生かし合って1つの音楽を創り上げる。協和性。

それに対してハーモニーは同じ質の音、響き、ピッチを目指し同じ旋律内の和音を目指す。歌であれば同じ発声方法で行うなど。

この価値観、文化は西洋や現代のアジアでは特に東アジアでは好まれる。

レーニングされた発声によりまるで一人が歌っているかのように、同調していく。

又は同じような声のひとたちが集まる。

でもこれがとても美しい音楽を創り上げるのだ。

 

ところが黒人のゴスペルは同調性を目指さない。

勿論、プロのクワイヤなどはピッタリと合っているけど、それぞれの声の質は意外とその人の持っている声を生かしていくのである。

おそらくダンスも本質は同じである。

振り付けは合ってるけど、一人一人の個性は不思議と生かされている。

それはおそらく、彼らが同調することを目指すのではなく、個が個であり続けるための協和することを理解しているからではないか。

アドリブがその最も典型的な個性。

そしてゴスペルも一番大切にされることは「神様を賛美する事」であり、合唱として音楽として完成された音を目指すのではないからこそ、ポリフォニーが成立し、リズムがずれようが、音程がずれようが、神様と自分の一対一の世界があればそれでよいのだ。だから自分勝手とも違う、個と個が違うままで和を創り上げられる合唱の世界なのであり、テクニックよりも精神(スピリット)が大事なのだ。

だから、その本質がとても寛容であり、個がありのままでいられる世界を創れる。

これを神の愛と呼ばずしてなんと呼べばよいのか。

他にふさわしい言葉がみつからない。

 

人はそれぞれの個性を持って生まれ、その個性が生かされたり、認められた時に命が光る。自分自身を殺す時に様々な心の問題が生まれる。

それでも、神様は人が人を愛するようにプログラムされた。

そして、人が人を支え合うようにプログラムされた。

だから、私たちはいつでもありのままで受け入れられるコミュニティを必要としている。違いを認めたり、尊重できる場所。

ゴスペルはいつだって、誰にでも寛容な世界を与えてくれる。

それは個が個でいられる音の世界。

同調ではなくて、協和すること。

違うけど、一緒に歌おう、心合わせて行こう、神様に心開いていこうという世界。

 

黒人のゴスペルはいつだって、こう言っている。

「あなたはそのままでいいよ」と。

「そのままがいいよ」と。

それが神の愛。ハレルヤ!!

 

ポリフォニー

#ハーモニー

#ブラックゴスペル

#ありのままでいい

#協和

#同調

#神の愛

#個と個

 

Black History Month-African Spirituality that Nourished the World

 

 Every February is Black History Month, a month in which we reflect on the history of the American people, especially those of African descent in the United States who are considered Black Americans.

It is a month to pay tribute to them again and to think of the historical figures born from them, especially slaves of African descent, who contributed to the development of the United States.

Black people of African descent have a special place in our hearts, not only in the United States, but throughout the world.

People who are called “blacks” sometimes wear dashiki, the African pop culture, because of their historical awareness that their homeland is all on the African continent.

Come to think of it, there are probably millions of blacks (i.e., Africans) who were taken from the African continent in the slave trade.

They were transported and forced to work for free in North America, South America, the Caribbean, continental Europe, Arab countries, and a wide range of areas outside of Asia. On top of that, the continent continues to be colonized and exploited by the British and French.

It seems that Africans are probably the number one population exploited in terms of both people and resources on such a large scale.

That is why there are black Africans scattered all over the world.

It is only recently that they have emigrated to seek business opportunities on their own.

They were forcibly transported from the 17th to the 20th century.

I personally was also led to love, praise, and Christianity by the black gospel for 25 years.

So, my feelings for Africa are not just a feeling.

Their spirituality, their oneness with God, the spirit that comes through their voices, their love, everything that Jesus has, is in all African music.

Especially gospel music is full of all its spiritual power.

Both American and African.

It is so full of the power of the Holy Spirit that it cannot be compared to any other hymn.

The spirituality of the beat and the voice immediately set us free.

For me, it has become like oxygen, so much so that I can no longer breathe without inhaling.

I am very grateful and respect it.

The fact that I now live with my Nigerian husband makes me feel even more so.

Passion for God.

Awe for God.

Faith in God.

To expose myself to God as I am.

All of these things shake my soul.

This is exactly what I call “African spirituality.

I want to spread this spirituality more in Japan.

That is why I teach gospel music to children.

I have also published a book about it.

The spirituality that Africa conveys is the light of absolute evaluation, liberation of the soul, and freedom of the person.

Their spirituality is something so different that it sets them apart from other peoples.

Therefore, it is very hard to watch them being taken lightly or being used as a tool for money against that spirituality.

 


We can see this in the battle over rap, the beef in the American HipHop world.

Kendrick Lamar's hit song “Not like us” from the recent NFL Super Bowl

The rap song was a scathing critique of the popular Canadian rapper Drake.

The culture of name-calling and dissing each other is not something we are used to in Japan, but in the U.S. it is natural.

This is another cultural difference.

But what Kendrick is trying to say is that beautiful black HIPHOP, which was born out of poverty

He is seriously angry that the beautiful black hip-hop, which was born out of poverty, is being used as a tool for his own popularity and money by a fake black rapper who is a lover of girls. I guess that means they can't contain their anger.

They are probably feeling unforgivable that their true blackness is being tarnished.

They don't keep it to themselves and start a fight by rapping about it.

This is the power of HIPHOP. This is the power of HIPHOP.

This can be seen in the battle over rap, the beef of the American HipHop world.

This is another cultural difference.

But what Kendrick is trying to say is that beautiful black HIPHOP, which was born out of poverty

He is seriously angry that the beautiful black hip-hop, which was born out of poverty, is being used as a tool for his own popularity and money by a fake black rapper who is a lover of girls. I guess that means they can't contain their anger.

They are probably feeling unforgivable that their true blackness is being tarnished.

They don't keep it to themselves and start a fight by rapping about it.

This is the power of HIPHOP. It is the power of HIPHOP.

It is a muddy, humanistic art form.

Kendrick Lamar - Not Like Us / Kendrick Lamar [Grammy Award Winner in 2025

I know how you feel.

You don't know much about the value of gospel music, someone take its value lightly, who have no sincere respect for God, and  can't stay when it's sung in a fashion.

I'm going to say something great here.

I want to express my sincere history, longing, and love for the history of black people, the history of Africa, and the spirituality of Africa.

As one who was saved by that African spirituality.

I thank God.

I can only thank you for connecting me with Africa.

My victory and happiness are guaranteed.

Happy Black History Month!

God bless AFRICA!!!!

God bless BLACKSPIRIT!

 


#blackhistorymonth

#Afrika.

#AfricanSlaveTrade.

#AfricanSpirituality.

#God and Africans

#JesusChrist and Africans.

#blackgospel

#hiphop

#kendrickramar

#notlikeus

#superball2025

#grammy

#blackness

#blackspirit

Black History Month-世界を養ってきたアフリカの霊性

  毎年2月はブラックヒストリーマンスということで、特にアメリカにおけるアフリカ系の黒人と言われるアメリカ人の人たちの歴史を振り返る月間である。

彼らに改めて敬意を表し、アメリカの発展に貢献したアフリカ系の特に奴隷の人たちを思う、その中で生まれた歴史的人物にも思いを馳せる月になっている。

アメリカのみならず、世界中でアフリカ系の黒人の人たちは特別な思いがある。

黒人と呼ばれる人たちは祖国はみなアフリカ大陸だという歴史的認識から、アフリカのポップカルチャーであるダシキを着たりもする。

思えば、アフリカ大陸から奴隷貿易で連れ去られた黒人(つまりアフリカ人)は何百万人にも及ぶだろう。

北米、南米、カリブ海ヨーロッパ大陸アラブ諸国とアジア以外のエリアに幅広く彼らは運ばれ、ただ働きさせられた。上に、大陸はイギリス、フランスに植民地化され、搾取され続けている。

これだけ大規模に人も資源も搾取されているのは、おそらく人口の数で言えば、アフリカ人が第1位だろうと思われる。

だから、世界中にアフリカ系の黒人が点在している。

自らビジネスチャンスを求めて移民したのはここつい最近のことである。

17世紀から20世紀までは強制的に運ばれたのだから。

私個人も25年間、黒人のゴスペルを愛し、賛美し、そしてキリスト教に導かれた。

だから、アフリカへの思いはただならぬ思いがある。

彼らの霊性の高さ、神との一体感、声から伝わるスピリット、愛、イエスの持っている全てがアフリカ系の全ての音楽には含まれている。

特にゴスペルはその全ての霊的パワーに満ちている。

アメリカのものも、アフリカのものも。

他の讃美歌と比較にならないほど、聖霊の力に溢れている。

そのビートや声の持つ霊性でたちまち人は解放されていく。

私にとっては、それはもはや酸素のようなもので、吸わないと息が出来ないほどのものになった。

とても感謝しているし、リスペクトしている。

今、ナイジェリア人の夫と暮らしていることが更にその思いを強くさせている。

神への情熱。

神への畏敬の念。

神への信仰。

神にありのままの自分をさらけ出す事。

それら全てが私の魂を揺るがす。

これはまさしく「アフリカの霊性」そう呼ぶしかない。

日本にもっとその霊性を広めたい。

その思いで子供たちゴスペルを教えている。

そして本も出させていただいた。

アフリカが伝える霊性とは、その人の持つ絶対的評価の光、魂の解放と自由。

彼らの霊性は他の民族と一線を置くほど何かが違う。

だから、その霊性に対して軽く見たり、お金の道具にされたりするのは、とても観るに耐えない。

 

そのことをアメリカのHIPHOP界のビーフというラップ上のバトルに見ることが出来る。

先日のNFLのスーパーボールのケンドリックラマーの大ヒット曲「Not like us」

カナダ出身の人気ラッパードレイクを痛烈に批判したラップ曲である。

名指しでディスり合う文化は日本では中々馴染まないけど、アメリカでは自然。

これも文化の違い。

でもケンドリックが言いたいことは、貧しさから生まれた美しいブラックHIPHOP

少女性愛者の偽物黒人ラッパーに自身の人気取りとお金の道具にされていることに、真剣に怒っている。怒りがおさまらないという事なのだろう。

自分たちの真の黒人性を汚されていることに許しがたい気持ちになっているのだろう。

それを内に秘めずに、ラップで喧嘩を仕掛ける。

これがHIPHOPのパワー。あくまでもカウンターしていく。

泥臭い、人間臭いアートである。

【和訳】ケンドリック・ラマー - Not Like Us / Kendrick Lamar【2025年グラミー賞受賞】

気持ちは分かるなあー。

ゴスペルの価値をあまり知らずにその価値を軽く見てる、神への真摯なリスペクトも無く、ファッションで歌われると居たたまれない。

ここは偉そうに言おう。

黒人の歴史、アフリカの歴史、アフリカの霊性に心からの敬意と憧れと愛を表していきたい。

そのアフリカの霊性に救われた一人として。

神に感謝する。

私とアフリカを繋げてくれて感謝しかない。

私の勝利と幸せは保障されたようなものだから。

Happy Black History Month!!

God bless AFRICA!!!!

 

#blackhistorymonth

#Afrika

#アフリカ人の奴隷貿易

#アフリカの霊性

#神とアフリカ人

#イエスキリストとアフリカ人

#blackgospel

#hiphop

#kendrickramar

#notlikeus

#superball2025

#grammy