この夏遠出もできず、ほぼ自宅で過ごしたおかげで、このドラマを観ることが出来たのはラッキーだった。
全5シーズンだから、30話程かな。
舞台はアメリカ東南部メンフィスのメガチャーチ。
苦労して小さな教会からメガチャーチを築くまでになったアフリカンアメリカンの牧師夫妻と、教会や一族や家族にまつわる物語。
決して綺麗事じゃない。
教会を守り、聖人として扱われる牧師やその家族たちにも泥臭く、人間臭い過去や罪が描かれている。
不倫、少女に対する性犯罪、賄賂、婚外子や同性愛問題などなど。
どんなに神の道を歩こうとも、人は欲望から自分を守れない。
というか、欲望に勝てない。
特にアメリカではどのドラマを見ても、まだまだ同性愛に対する偏見や差別が根深いんだということが分かる。
これは観ていて切ない。
特に教会という場所では、長老たちのゲイカップルに対する仕打ちが酷い。
アメリカでそうなら、日本なんてもっとだろうな。
こういう時に聖書の読み方が問われる。
神の意図はどこにあるのか?
という事。
わたしがこのドラマを観たときに、ひとことじゃない何かを感じるのは、わたしの先祖たちの物語。
山本家は、父方の祖父母が曽祖父の意思で中野に小さなホームチャーチを開き、そこには神学校に通う若い神学生達や、地元のクリスチャンが日々学んでいた。
今は大きな教団が受け継いでくれているけど、長老たちと創立した家族たちの間にも様々な確執があったし、山本家の家族にも人間臭いドラマが溢れてた。
クリスチャンも人間で、聖書を片手にしても誰一人偽善者としての疑いは晴らすことはできない。
そんなことを回想しながら、リアルにこのドラマを観てしまう。
わたしのなかに、このグリーンリーフ家と山本家、いや、きっと、どこの教会にも起こりうることなんだろうなと、現実的なドラマとして観てしまった。
だからこそ、一族の一人一人に感情移入してしまう。
グリーンリーフ家と共に笑い、泣き、苦しんで、その家族の一員となってこの2週間を過ごした。
いやあ、脚本や監督、キャストの演技力にも引き込まれながら一喜一憂してしまった。
ここには、人間の普遍的な罪が詳細に描かれている。
性や金の欲望、アメリカにおける人種問題、支配欲、嫉妬心、男はいつだって色目に弱く、女達は豪が強い。
我が家の先祖達を思い浮かべても、わあ、このキャラはこの人って当てはめられるくらいね。(笑)
世界共通なんだ。人間は。
偽善者じゃない人間なんてこの世にいないとすら思う。
だから、聖書は、特に新訳では、イエスの弟子達は皆罪深く、それぞれの十字架を背負っている。
清廉潔白な人間なんて一人もいない。
イエスはそんな泥臭い弟子達を愛した。
ここがポイント。
イエスは優等生よりも、堕落した人間らしい人間を愛してそばに置いた。
ときに厳しく、ときに深い慈愛を持って。
人間は罪深い。
だからこそ神が必要なんだって、再確認させてくれる。
だから、聖書はすごくリアルなんだって事。生々しく泥臭い人間達の罪が山ほど描かれてる。
だから、わたしは聖書の物語を読むのが好きである。
罪を乗り越えるために、心に何を備えておくか。
適切なアドバイスが神の言葉として力強く書かれているから。
このドラマに存在するグリーンリーフ家の家族愛と、確執も同時に描かれていてまたまたリアル。
家族も完璧じゃないから。
それぞれが一個の人格としてぶつかり合い、ときに詰りあい、そして許し合う。
それが家族のリアルだし、生身の姿。
いつも笑顔で愛し合うだけの家族なんて、理想だけどリアルじゃない。
何かあって当たり前なんだ。
信仰と愛憎が織りなす一つの織物のようにドラマは進んでいく。
そして、また、新しい自分に出会うのだ。
苦しみや悩み無くして、成長はありえない。
教会も、家族も、そして、自分自身も。
まだまだグリーンリーフ家のその後が知りたいけど、今は我慢。(笑)
特別プロデューサーのオペラ・ホイトリーの実力、撮影に使われたタイラスペリーの新しい黒人のための黒人による巨大なスタジオ、そして、毎週のように生み出されるNetflixオリジナルドラマや映画、その資金力とアメリカのイノベーションには、ただただ驚くばかり。
規模も発想も金額も桁がいくつ違うの?
というくらい。
もう白旗あげるしかない。こればかりは。
#グリーンリーフ#Netflix
#教会#家族#人間の罪