痛ましい事件である。
おそらく殺害された2人の女性は犯人の悪口など言っていないのだろう。
犯人の思い込みと被害妄想が2人の女性への殺意へと変わってしまった。
そして、2人の警官も本当に気の毒である。
日本では銃事件は極端に少ないため、警察も慣れていない。しかも、とてものどかな田舎町であるから、そんなことはめったに起こらない。「うちの村に限って・・・・」と誰もが思っていただろう。
このような事件が起きたとき、現代の警察はその動機について調べることになる。
しかし、事の本質は実は動機というよりは、本人の成育歴の中でいつの間にか育ってしまった「心の空洞」にあると思う。
先祖から受け継がれた農家、父親の事業、社会性の高い家族の中で、おそらく物質的に恵まれ何不自由なく育ったことは想像できる。
しかし、どこか自分に自信が持てずに、一族の重荷だけを背負ってしまった。
自然に周囲は「跡継ぎ」という目で見るし、自分に自由意志が与えられていないと思ってしまったのかもしれない。心の弱さがあったのかもしれない。
私たちクリスチャンは、そんな時、こういう見方をする。
悪霊が彼の心に住み着いた。と。
人間とは目に見える肉体の部分と目に見えない霊的な部分とで成り立っている。
現代の日本は、科学的じゃないと気がすまないため、霊的な自分を置いてきぼりにする。だからバランスを崩しやすい。
逆にスピリチュアルにハマりすぎて、気が狂うか、どちらかである。
霊的にガス欠を起こすと一気に悪霊に支配される。
初期は本当の自分と、悪霊に支配される自分とで翻弄するが、次第にそれが一体化してしまう。医学ではそれを双極性障害とか統合失調症などと呼ぶが、悪霊が憑りついたら一筋縄では行かない。
カウンセリングで良くなるのは初期の段階である。
これからもこのような理不尽な事件が増えていくだろう。
私たちに何が必要か?
まずは早期発見である。
心を空洞にしやすい子供の特徴は必ずある。
自分に自信がなく、しかしプライドは高い。
繊細で周囲の反応に敏感である。
先々のことをいつも不安に感じていたり、心配している。
家族や友人に本音を言えないタイプである。
だからその「心の空洞」に気づけない。。。。
だからと言って、問題が無いと放置するとこういう事件に結び付く。
第2に「神さま」のことを教えることである。
人間は弱く、罪深い。
そのことを深く自覚して、人間の知恵だけで解決しようとしない事である。
常に神様は見ていて、人間を騙せても「おてんとうさまは見ているよ」と小さいころから教えることだ。
日本もかつてはこの諺のように、育てていただろう少なくとも明治前までは。
それでも人間は罪を犯すのだから、尚更教えていかなければならない。
キリスト教にも地獄という概念はある。
聖書にはっきりと明記されている。
「悪事をはたらけば地獄に落ちるよ」と教わるから、一定の抑止にはなる。
第3に霊的な存在であることを誰もが自覚することである。
日本には「気を付けて」という言葉があるように、「気」という考え方自体がすでにスピリチュアルな世界を意味する。
「この部屋は気の流れが良い」とか、「運気」が上がるとか、そういう言葉が好きな民族性である。それが霊の世界なのである。
目に見えない自分のエネルギー、「気が合う」「気合を入れるなど」そう言った目に見えないその子その子の霊的な部分を無視しないでほしい。
どうしたらよいかわからないなら、聖書を手に取ってほしい。
悪霊との戦い方、祈り方、乗り越え方、すべてが書かれているからだ。
ノンクリスチャンであっても、困ったら牧師たちのブログを覗いて欲しい。
自分のこどもや大切な人を悪霊の餌食にしないためにも。
霊的に成長させるためには、物理的に甘やかさないこと。
何でもかんでも買い与えないこと。
物理的に十足すると、不思議と霊的に困窮する。
少し足りないくらいが人間にとっては健康的だからだ。
霊的に満足するために、自然と戯れさせること。
自然には聖霊が宿っているから、人間の霊的な部分を癒してくれる。
霊的に「空洞化」をつくらないためには、家族で会話を楽しむ事。
たわいのない会話が出来る家族は、「空洞化」を防げるからだ。
悪霊は冷たい人間関係を好む。
愛を嫌う。
家族の中にコミュニケーションが生まれている空間に悪霊は住みつかない。
悪霊の嫌うのは、愛、平和、笑顔、笑い声だ。
家の中をこういう雰囲気にすること。
口下手な子供なら、スキンシップをしよう。
一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、遊んだりしたほうがいい。
愛はお金で買えない。
これは世界の摂理。
神のプログラムである。
それから、だいじなこと。
数人の子どもが居るなら、平等に扱う。
ひとり褒めたら、もう一人も褒めよう。
プレゼントも平等に。
勉強の出来だけで評価しない事。
その子の優しさや、いいところを探そう。
出来ない事ばかり探すのは「心の空洞」を作りやすい。
その子のあるものに注目してほしい。
何度も言うが、「心の空洞化」は積み重ねると、自己否定になり、悪霊の餌食となる
一度なってしまうと、悪霊はその霊も肉もむさぼり続ける。
そこから救い出すとしたら、もはや神の力を借りるしかないのである。
人間の知恵には限界がある。
薬漬けにしても、廃人になるだけ。
弱い人間の出来る範囲というのは本当に小さい。
それが、人間の世界でいくら地位や名誉があってもだ。
そんなことは神の世界ではチリと同じ。
一文無しでも、自分を自覚し遜るものが天の国に行ける。(マタイの福音書18)
神に遜り、自分の小ささを自覚し、家族を愛し、お金やモノや地位の奴隷にならない事。それが天の御国に入れる者たちだ。
そのような考え方をバカにして、「神さまなんてどうでもいい」なんてふんぞり返ると、悪霊が喜んであなたに近づいてくる。オーわが友よ!
そして耳元で囁く。「神なんていないさ、そんなの詐欺だ。自分の考えで生きればいい。金を稼げ、えらいやつに媚びろ、嫌な奴には倍にしてやれ。親なんてろくでもない。愛なんてこの世に存在するわけないだろ?」と。
私の先祖は100年前に岡山で仏教からキリスト教に改宗した。
なぜなら、罪深いことを繰り返したから、金儲けに夢中になり沢山の農民を痛めつけたから、私の曽祖父は自分の子孫に神の怒りが及ばないように、「悔い改め」として改宗し、50歳で事業をたたみ、東京へ上京したのだ。
キリスト教では「悔い改める」ことは非常に重視される。
ところが神は簡単には許さなかった。
祖父は神学の道に入るものの、統合失調を患った。
他の親族にも心の病が及んだ。
だから、「自分は神だ!」なんて口が裂けても言ってはいけない。
人間が傲慢になる時、神は容赦なく裁きを与えるのだ。
「おてんとさまは見てる」
そのとうり!!!!
善意の無い子供なんていない。
みんなに神様の光は当たっているのだから、その光が輝くようにしてあげたい。
人間の道を行き闇を彷徨うのか、それとも神の道を行き知恵と導きを与えられるのか?
それが運命の分かれ道なのだ。
ハレルヤ!
神様の種を撒こう!
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