少子化、高齢社会、人口問題、労働者不足。
全てにおいて日本が衰退していくシナリオは全てそろっていると言える。
かと言って、移民や外国人労働者に対しては、慎重な考え方がまだまだ根強い。
それは政治のせいかと言ったらそうではなくて、私たち一般市民の中に根強くある偏見や閉ざされた感覚である事には間違いない。
予算をつぎ込んだとしても、おそらく少子化の波は止めることは出来ないであろう。
社会全体が仕事やキャリアの中で自己実現できるようになっているわけだし、子どもを産んで育てるメリットを若い世代が感じることが出来ないからだ。
それは、何故か?
シンプルに50歳位になった時の自分がどうなるか?彼らには想像つかないからだ。
一人だってお金があれば生きていけるとか、好きなことをして楽しく生きていけると30代までは思うにきまっている。
それが人間なのだ。
親の「自分の家族を持ちなさい」なんて言葉はプレッシャーにしかならず、雑音でしかない。「ほっといて欲しい」と思うのは自然なこと。
それが若さである。
それが未熟さである。
でも、実はそれは間違えてる。
40代までは勢いと残りの体力で突っ走れるのだが、50代からは厳しい現実を突きつけられる。女性は更年期症状に悩まされるし、男性にも自律神経やホルモンバランスの崩れ、成人病などが襲い掛かる年代である。
いくら古女房でも、50代で病気した時に着替えを持ってきてくれる存在は有難いはずだ。女性にとっても、体調が突然悪くなった時に経済を支えてくれる夫の存在に感謝するときがくるのだ。
なによりも子どもたちの存在が心の癒しであり、喜びとなる。
50代で一人で生きるということは本当に試練が大きい。
30代の時には想像しえない試練が一気にくるようなもの。
だから、若い世代にはやっぱり家族を持つことの大切さを知ってほしい。
ところで、最近縄文、弥生時代が注目されているという。
特に縄文文化は定住し農耕を営んだにもかかわらず、ほとんど争いの痕跡がみられない。5000年あまりも人間が平和に生きた奇跡の時代。
現代の私たちにとっては理想郷である。
何故それが可能であったか?
考古学の研究者たちはゲノム解析を続けながら、いまだその解明に取り組んでいるという。すごーーーーーく興味深いではないか。
縄文の時代はホモサピエンスが主だと言われて入るが、ネアンデルタール人と交雑していた説もある。
当時は日本では、沖縄と北海道に原住民というかネイティブの民族が集落を作っていた。
大和大国になるずっと前。
ポリネシア、インドネシア、ミクロネシア、アイヌ民族の人達が私たちの祖先である。その後弥生時代に入って、朝鮮半島からホモサピエンス系の高度な文化と農耕の技術を持った人たちが入国してくる。
そこから本格的に農耕民族としての歴史が始まり、人口も増えていく。
日本は島国だから、大陸の高度な文化を学んで吸収してきたのは間違いがない。
詳しくは考古学者の藤田謙一氏の著書を参照ください。
今までDNAによる解析しか可能でなかった考古学にゲノムというサイエンスが加わり、更に歴史が塗り替えられているというのが面白い!
藤田氏によれば、研究者はネアンデルタールとホモサピエンスを分けて考えがちだが、
ゲノムによれば、それすらもわけることが出来ないくらい、混ざり合っているというのだ。ハレルヤ!
神様の業はどこまでも深く広い。
つまり、縄文弥生時代にも、私たち日本人の祖先は周辺国の多様な民族と混ざり合い、出来上がってきた国なのである。
東南アジア、もしかしたら、極東の国ロシア、そして東アジア大陸。
世界はもともと一つだったと言っても過言ではない。
ネアンデルタールの代表選手はアフリカ大陸の人たちだから、そのゲノムも私たちの遺伝子には混ざり合っているだろう。
2500年あまり定住したそれらの多人種な民族は、この島国で家族を形成し、国家を形成し、国内で領土争いを繰り返し、あまり外部に開かずに、引きこもって暮らして来たから、単一民族のように感じているけれど、ゲノムで解析したらおそらくかなり多様な遺伝子を持っているはずである。
それでも、血族内の繁栄をし続けた結果、子孫の繁栄にはもうあまり積極的ではなく、まるで自然淘汰されるかのように、人口を減らし続けている。
だから、おそらく日本は2500年前の原点回帰をしようとしているのかもしれない。
沢山の民族を受け入れざるを得ない状況の中で、細々と多人種国家として再出発するのが、一番日本らしく、理想的な形なのではないか。
沢山の遺伝子たち!日本を救ってください。
生き物としてもその方が逞しく、健康的であるはず。
神の本意は一つ。
私たちがユナイト(1つ)になることなのだから!
ハレルヤ!
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