AiLydia’s diary

ゴスペルに関すること全てを書いていきます!歴史、背景、歌詞や曲の解説、おススメゴスペルアーティストなどなど!ゴスペルをメインに私の人生や想い、音楽や信仰に対する情熱を日々の出来事から綴っていきたいと思います。

心の病の処方箋

祝福に溢れた朝の出来事

長い間統合失調と向き合いながら生きてきた妹に少しずつ変化が起きています。
ここ最近、明け方から目が覚めてしまい不安になると連絡が来ました。
この時期精神的な問題のある人たちにとって辛いシーズンですね。
冬至に向かって日が短くなるこの時期ですから。

そこで、癒しと慰めのいくつかの聖句と、ゴスペルのYouTube動画をセットにして送る様にしました。
とても警戒心の強いタイプですが、意外にも「聖句良いね!」と電話があり、励まされたよ〜と。
深い部分に響いたそうです。

あー嬉しい。
ハレルヤ!神様に感謝です。
ゴスペルも楽しんで聞いてくれてるしこのクリスマスは、聖書をプレゼントするのも良いかなと思ってます。
今も強い強迫観念や被害妄想に悩まされながらも、前向きに明るく頑張っている妹を誇りに思います。
神様どうか、彼女を導いてください。
神様に心開くものになります様に。
祈らずにはいられません。


詩篇91章5節から

5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。
12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。

 

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カルト2世の苦しみとイエスの救済ー統一教会2世の告白から

 先日ある場所で、元統一教会の信徒であり、その2世として育ち両親も合同結婚式で結婚し、自分自身も教団の決めた相手と強制的に結婚させられた女性と話すことが出来た。メディアでは散々取り上げられいたけれど、実際その体験を持ったご本人の話を聞くのは初めてで、とにかく驚きの連続。

それでも、相当な苦しみを乗り越えて4人のお子さんを育てながら、本当のキリスト信仰の道に入った彼女の逞しさ、強さにも圧倒された。

 

間違いなく、カルトは大きな罪である。

人格を空洞化させマインドコントロールする。

目的は何か?

支配欲と金、権力だろう。明らかに。

 

彼女は夫の家族のカルト信仰と支配欲が強まるのを見て、これは逃げるしかないと決意。子どもたちを連れて着の身着のまま家を出て、家裁で離婚調停した後に正式に離婚し元夫の様々なハラスメント行為から逃れることが出来たという。

この経緯は話に聞けばたった1時間だけど、想像しただけでどれだけ困難な道を通られてきたか。。。

 

その時の彼女の気持ちとして、やはり支えになる信仰が欲しいと思い、神道から仏教からありとあらゆる宗教巡りをしたという。

その結果たどり着いたのが、「イエスキリストは最強」という結論だったという。

これも興味深い。

自分の中にある根強いカルト信仰とトラウマを乗り越えるのには、最終的に「イエス」しかいないという結論に達したというのだ。

カルトから逃げ出した人の受け皿が少ないのが日本の現状なのかもしれない。

面白い事に、時々不安と恐怖に襲われた時にカルト時代の信仰で乗り切れた時もあるという。

何かを信じることで人生を送ってきた人にとっては、それも一つの生きる知恵でもあり、また幻想でもあるのだ。

 

カルトの家族はまず自分というアイデンティティを全否定し、空洞化して教祖の教えのみを叩きこむ。

自分の性格的なもの、個性、民族的なアイデンティティ全てを否定していくわけだから恐ろしい。生きているようで生きていない状態。

霊的にはずっと空っぽで、教祖のマニュアルが仮想的な人格を形作る。

霊的に空っぽだと、悪霊も自由に出入りできる。

その恐怖、不安さえもカルトのマニュアルで幻想を持たせ、教会員の人格をコントロールしていく。カルトとは非常に人間の弱みを逆手に取る技を知っているのだ。

 

一番の問題は人格の空洞化。

本来のキリスト信仰はそういうものではない。

きちんと、自分の人格的なアイデンティティを持ちながら、イエスと繋がり人生を前進させる健康的な信仰である。

霊的に成長することを目的としていて、自分の罪深さを知り、悔い改めて、許され、遜って生きていく知恵を与えられる。

神に感謝することで、毎日が新しくされる。

命を新しくされる。

苦しいときは祈ることを知り、仲間と励まし合うことが出来る。

聖書の言葉から大きな祝福を受け取ることが出来る。

きちんと自分の人格を持ち、むしろその人格を成長させるために信仰があると言ってよい。

沢山の讃美歌にも癒される。

牧師のメッセージにも励まされる。

自分を空洞化させるのではなくて、むしろ神様の恵みや祝福や愛で満たしていくプロセスが本来の信仰なのだ。

 

彼女はカルトの一家で育ち、途中までカルト信仰を持ち、しかし、何かが違う。違和感を感じた。これは両親の遺伝子とは全く関係なく、神様が彼女のまっすぐな心を見逃さずに、気づきを与えたと言って良い。

神様の救済である。

その後さまざまな宗教を渡り歩いて、キリスト教に出会い(カルトではない)アフリカ系のカリスマ派の礼拝を体験して、解放の体験もし、今も求道者として必死に生きている。沢山の魔女たちにも会ったそうで、その話はまた次回。(笑)

 

山り谷あり崖あり、溺れかけてもカルトのサバイバーとして生き延びて4人の子どもたちと頑張っている。

これから神さまは今までの苦労を7倍の祝福にして彼女に返してくださるはずだ。

そのサバサバした口調と明るいチャーミングな笑顔がとても魅力的な人。

これからは光しかない。

カルトで失った、一度死んだと思えることが全て復活して喜びとなり彼女に戻ってくることを心から祈りたい。

カルトのサバイバーの皆さん。

勇気をもって逃げ出してください。

苦しいのなら何かがおかしいと気づいて。

 

本来の聖書。本来のイエスキリストは苦しみは与えない。

不安や恐怖を煽らない。

むしろ闇の中の光としてあなたを照らすはずです。

そのことに気づけたなら、新しいあなたの命が与えられます。

どうか希望を捨てないでください。

エスは誰一人見放さない。一人一人を愛してます。

ハレルヤ!

 

統一教会

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愛って何???ー今人間の求めているものとは?

  人間とはなかなかややこしい生きものです。

どんなにお金があっても、「幸せってなんだっけ?」「愛ってなんだっけ?」

って追い求めるプログラムになっているからです。

そう、私たちには元々脳内にプログラムされているのです。

神様ってすごい。

科学者たちはこんなシンプルなことにも気づけないんですから、気の毒です。

おそらく人類が出来てからゲノムに書き込まれた情報だとしか言いようが無いのでしょうね。

 

話を戻すと、そしてそのことを考えるのを放棄した瞬間に悪霊は、ここぞとばかりその人の心、魂、霊的な部分に入って来ます。

「そうだろう?愛や幸せなんて考えたって無駄だろう?」って囁きかけてきます。

そしてその人の人生を破壊するのです。それだけは気を付けなければなりません。

 

さて、「愛とは?」

人間はおぎゃーと生まれた瞬間から愛を探して彷徨います。

まず初めに出会う人間、つまり親から愛情を受けられないと深刻です。

なぜなら親の愛は無償で、子どものためなら命も捨てる。無償の愛のはずです。

ですから、無償の愛は神の愛と同等の愛です。

 

ところが、親も人間。

無償の愛をもって育てられる人はどれだけいるでしょうか。

子どもよりも自分自身が可愛い、自分の承認欲求を満たすために、子どもに英才教育を施し、自己満足する。

それはこどもを見ているのではなく、自分の方が可愛いのです。

そうなると、子どもにとっては愛が足りなくなります。

ありのままは受け入れられない。

その子の特徴を個性をよく見て、自然体に育てることがとても難しいこの時代です。

 

愛とはその人のために「命」を捨てる、捨てられるか?というレベルが一番の愛ではないでしょうか。

親子、夫婦、カップル、友人どのような形態であってもです。

そしてそれが他人であるとき、どれだけ難しいかということも知る必要があります。

無償の愛を与え続けれらるとしたら、他人であってもそこに愛が生まれ、神様が働きます。

 

では、もしも、全くの孤独であったとしたら?

その人は「愛」を知ることは無理なのでしょうか?

それはノーです。

知ることは可能なのです。

私の奉仕するホームレスのフードバンクを見ると、明らかに「幸せそう」で、「愛」を知っているホームレスの人たちが居ます。

彼らは肉体的、精神的「自由」を獲得し、最低限の荷物と食べ物で生き、そして神様と繋がろうとしています。

私が聖書を配るとあっという間に無くなるし、笑顔で冗談を言ってくれて、今日も来てくれてありがとうって声をかけてくれます。

彼らは感謝することを知っています。

人を気にかけることを知っています。

感謝できる人は、幸せに生きられる人です。

身寄りがなくても、神様や奉仕者に感謝して自由に生きる事。

それ自体がもうすでに「愛の中で生きる」人たちです。

単純に擁護しているのではなく、彼らと接していると自然に感じることです。

一人一人事情があるから多くは語らないけれど、おそらく何かしら問題があって、職場や家族から逃げてきた人が多いと思われます。

それを無責任だと批判する人も居るでしょう。

でも、そのような人達にも神の愛は変わらずに注がれています。

そのことを理屈では無く感じるのです。

そういう鋭さは父親譲りなのかもしれません。

父は徹底的に偽善者を批判していました。

ホワイトカラーで、インテリで社会的に良い地位に居ても、愛がない人間は山ほどいる。そういうやつらを俺は信用しないと。

だから、彼は大工さんや職人さんたちをとても愛してました。

人情が厚くて父なりにも愛を感じられる人たちだったのです。

祖父は大学教授で、父はとても反発を感じることが多く、祖父からは愛情を感じることは出来なかったようでした。そんな体験からも父のマインドセットは出来上がったのだと思います。

 

ところが聖書でも同じですね。

エスはインテリの律法学者やパリサイ人を徹底的に批判し、周りに置いた弟子たちはみな「輩」と言われるような、肉体労働者や(漁師)罪人、身分の低い徴税人でした。おそらく父はイエスと同じようなことを感じていたのではないかと思われます。

知識ばかりで頭でっかちな人ほど「愛」が分からないのだと。

勿論例外もあるでしょうが。そうなりがち、なのかもしれません。

 

真実の愛は、条件を求めません。

その子に仮に障がいがあっても、勉強が出来なくても、どんな状況であっても、その子のために「命」を捧げられるかということです。

 

神様は、そのひとり子をお与えになりました。

そして人間の罪のために生贄として捧げたのです。

人間の数えきれない罪を我が子に負わせ、その命と引き換えに「赦し」を与えられました。どれだけ神が人間を愛したか、ということの証明です。

エスは神の無償の「愛」をこの世に表すために送り出されたひとり子なのです。

 

人間とは不思議なもので、家族に囲まれていても、お金が腐るほどあっても、部下や同僚に恵まれていても孤独を感じることがある厄介な生きものなのです。

それは、心に隙間を作り、悪霊に心を受け渡しているからなのです。

もしもこれを読んでいる人で、孤独を感じ、愛が分からない、愛を求めている人が居るなら、聖書の世界に入ることをお勧めします。

聖書には人間の罪深さ、愚かさ、欲深さ、傲慢さ、また逆に従順さや逞しさ、美しさが神の目線から描かれています。

真理がそこにあります。

 

人間に失望した時に、人間に求めてはいけません。

人間は小さく弱い、それでも神との関係性で成長していく被造物です。

人間が創ったものは未だに神が創った自然の世界、奇跡に全く及びません。

足元に咲いている雑草に目をやってみてください。

人間のテクノロジーがあっても、この発色を再現することは出来ないのです。

それでも人間は自分たちの知能はすごい!と思っているのです。

中々滑稽で可愛げがあると言ったらそうだけど。(笑)

 

私たち人間が死ぬまで求めるであろう、「愛と幸せ」はちっぽけな被造物であると自覚し、神様との関係性の中でいくらでも見つけられるのです。

勿論人間と人間との間でそれを十二分に感じられるのなら、それも祝福です。

でもなかなかそういう人は少ないでしょう。

と、周りを見ていて感じることです。

 

神様との関係性が出来たら、

感謝が生まれる。

生かされている喜びが生まれる。

愛されている喜びが生まれる。

人に与える喜びに繋がる。

 

神はあなたが信じようが信じまいが、あなたに与え続けています。

愛は無性に与え続ける事。

与えて与えて与え続ける。

与えたら、与えて欲しいじゃあ、ダメなのです。

人間にはなかなかハードルが高いのです。

でも神様は与えて下さってます。

そこに目を向けたなら、心に眩しいくらいの光が入ってくることでしょう。

 

ハレルヤハレルヤハレルヤ!

 

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

( 口語訳聖書 )ヨハネ福音書3:16

 

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この世界は悪霊との闘いー霊的に勝利すること

 非常に個人的な事を書かせていただきますと、私の人生のステージが次の段階に入ってきたと思われます。

なんて、大げさなと思われるでしょうが、これは理屈じゃ無くそうなったとしか言いようが無いのですが。

目に見える成長というよりも霊的な成長が次のステージに進んだと思われます。

 

58年間生きてきて思うことは、人間やこの世界というのは物理的な世界だけでなく、むしろ物理的なものはほんの1部であり、ほとんどが霊的なエネルギーのせめぎあいなのでは?と思うことは多々あります。

実際私たちが経験するあらゆるもめ事や争いも、霊的なエネルギーの闘いなのだと思います。例えば、口ではいくら綺麗ごとを言っていても、その人の心は悪に満ちていることが分かる事って良くありませんか?

 本人がどれだけごまかしても、本人の心が見え隠れするときに何とも言えぬ悪に満ちたエネルギーを感じますよすね?

その人の狡さ、傲慢さ、偽善、嫉妬、支配欲、挙げたらキリが無いくらい。

まあ、言ったらSNSなどはそんな悪霊たちの住処とも言えますね。

悪霊との闘いは、物理的肉体的な対処では間に合いません。

霊には霊で闘わなければならないのです。

 

では、霊には霊で闘うとはどうしたらよいのでしょうか?

日本なら神社や寺でお祓いでしょうか?

あれって実際祓われてるのでしょうか?

アルバイトの神主さんがやってたりしないのでしょうか?

形式だけのお祓いは意味ないですよね。

又は占い師とか。呪術師とか。

霊的な戦いを舐めたらいけません。

あらゆる病や事故、家族内の断絶、鬱、精神病などは全て悪霊の仕業と言っても過言ではありません。

 

仏教や神道ではどのように対処しているのでしょうか?

また、その他の霊的な手法を使う人たちは上手くいってるのでしょうか。

その辺の事情は私には分かりませんが。。。。

 

少なくともキリスト教では、悪霊祓いはあります。

その霊的な能力を持ち合わせた信仰の深い牧師や伝道師にしかできない業です。

中には偽の呪術師のような人たちもキリスト教を名乗り、やっている可能性もありますが、そういうものではなく、きちんと礼拝の中で悪霊をその人自身から追い出すという解放のミニストリーです。

 

科学的なマインドセットだと簡単には信じがたいと思いますが、アメリカでは1900年の初頭から、ペンテコステ派が、アフリカではいつごろからか不明ですが、カリスマ派という預言、異言、癒し、解放のミニストリーを行う礼拝ではとても一般的です。

もちろん、その他の国々でも行われてきたことだと思います。

今、このような解放のミニストリーがとても注目されています。

20代から40代の若い牧師やミニスター達が、悪霊に付かれた人たちを次々裁いていく様は本当に圧巻で、感動すら覚えるほどです。

解放後の人々の顔は喜びで溢れ、別人のような顔になります。

とてもリアルです。

霊的に勝利することが、最終的に平安と幸せを感じられる唯一の方法のように感じられます。

全ての人に当てはまるわけではありませんが、私たちは多かれ少なかれ霊的な影響を受けているのです。

ただ特別な能力を備えていない私のようなクリスチャンは、やはり原点に戻って「祈る事」に尽きるのかなと思います。

そして常に心に「イエス」をしっかりと置くこと。

エスの名前はとても力強く、悪に立ち向かう最強のパワーとなります。

 

悪霊に心のドアを開きっぱなしにしないこと。

心を空洞にしないこと。

神様とコミットして、ドアのカギをロックすること。

祈りによってドアを閉める事。

 

霊的に強まれば自然に悪霊は逃げていきます。

神とイエスには勝ち目が無いからです。

ハレルヤ。ハレルヤ。ハレルヤ。

 

エフェソ人への手紙6:10-18

悪と戦え
10最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 12わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 14立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 15平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 17また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 18どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
 
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REVIVAL WILL COME-IS JESUS ACCEPTED BY JAPANESE???

For Christians, the word is familiar.

For non-Christians, it's revival ???? What is that?

I guess you may be asking, "What is that?

 


I will try to explain it in an easy-to-understand way.

It is when the Holy Spirit comes down to each one of us during the worship service, and not intentionally but very naturally, we start to speak in tongues, which is not a language, or we are miraculously healed of illnesses on the spot, for example, the eyes of a blind person open, a person who cannot walk stands up, etc., and these are things that cannot be explained scientifically. People who have evil spirits attached to them can suddenly have their bodies convulse and collapse on the spot, but through prayer they can be released from the evil spirits and their souls can be liberated.

Also, there will be people who give messages of prophetic things.

 


This happens very naturally during the service, but it is necessary to have a leader to guide the Holy Spirit, a pastor, or a Christian who has the gift (ability) of prophecy, deliverance, and healing.

The most famous revival in modern times is the 1906 revival at Azusa St. in LA, USA.

However, even as I write this blog, revivals are happening all over the world.

Especially in African charismatic churches that pray in "tongues" and place more importance on the relationship with the Holy Spirit, it is a very common scene.

And there are countless charismatic leaders who lead them.

Africa is amazing.

 


Returning to AzusaSt., according to the documentary, a black pastor was running a home worship service, and as the number of people kept increasing, he rented a place and started a ministry (worship service), which suddenly happened.

According to the testimony, there were blacks, whites, Chinese, and Japanese there! Hallelujah!

Children and adults were mixed together, and as they all began to pray together as usual, the Holy Spirit fell on each one of them.

Each one was filled with such power that they had no will at all, they spoke in tongues, they healed each other, and a child about 9 years old healed an old man with a limp and made him walk.

Everyone there was healed and released, experiencing a spiritual liberation that could not be explained.

This sparked a fire that led to a series of revivals in neighboring churches.

It was as if the fire of a wildfire was spreading. ・・・・

When such a situation occurs, it has a great impact even on those who did not believe in Christianity. All human beings desire to be spiritually liberated.

The fire of faith spreads and the Pentecostal movement begins.

 


The following quote is from Chatt GPT

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The Azusa Street Revival began in 1906 in a small warehouse at 312 Azusa Street in downtown Los Angeles, California, USA. This revival is also known as the founding of the Pentecostal (Pentecostal movement).

On April 9, 1906, the first overflowing experience of the Holy Spirit appeared in a church led by an African American pastor, William J. Seymour. Believers began to receive the baptism of the Holy Spirit and to pray and speak words of praise during the service. This led to many people experiencing spiritual conversion and the spread of Christian revival.

The Azusa Street Revival brought together people from different racial, ethnic, and social backgrounds, and became an event that brought widespread acceptance of the Christian message. This revival spread as the Pentecostal movement and continues to influence Christian churches around the world today.

The impact of the Azusa Street Revival was so great that it led to the establishment of the Pentecostal and Holy Spirit sects of Christianity. The movement is considered an important milestone in the history of Christianity and has been the source of various faith movements and spiritual revivals.

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Evangelical churches and other churches that value tradition tend not to accept this.

This is probably because they find spiritual phenomena suspicious.

 


Personally, for a while after I became a Christian, I was skeptical too.

I am certain that I had the impression that people were flopping over and that it was a cult.

Because our brains are so conditioned to believe only in scientific things that we have no interest in the unseen, spiritual world and understand it as inexplicable.

 


But what about the reality?

In Japan, there are many words that are sensitive to the spiritual range of human beings, such as the Japanese words "nen" and "ki.

We unconsciously place ourselves in the spiritual world and are at its mercy.

 


I have unforgettable memories.

 


There was an incident in a family with no morals.

They had many dogs, and a Siberian husky attacked a small dog and bit it to death. The husband was furious and beat the Siberian to death.

It is a horrible story to hear, but what followed was even more horrifying.

I was working part-time at an architectural office owned by the family, and the husband's eyes were becoming lighter and grayer day by day.

His wife jokingly said, "He killed a husky, so the spirit of the dog came over him.

But it was true. The husband's body was human, but spiritually he became the dead husky dog.

I have no way of knowing what happened to him after that, since I quit soon after that, but I wonder what happened to his eyes.

I don't even want to know.

 


What I am trying to say is that human beings are both physical and spiritual beings. So even if we are physically fulfilled, if we are not spiritually liberated, we will never be happy to be alive.

Steve Jobs said before he passed away.

Money and honor mean nothing to me.

Love fills the spirit, but money and honor are nothing. In other words, they are illusions.

 


What about Japan today?

It is full of physical desires (money, things, fame, greed). At the same time, spiritually, it is very dry and the batteries are empty.

So, in a desperate attempt to fill up their batteries, they seem to be investing in stocks, going on gourmet food tours, trying to get ahead by kicking others down the road, becoming money-grubbers, engaging in adultery, and struggling in various other ways.

But suicides are not decreasing.

I think this is the reason why the number of suicides, especially among children, has increased fourfold.

 


I am going to say it here suddenly, but a revival is coming to Japan!

Something happened the other day that convinced me of this.

Three years ago, I met a young charismatic Ghanaian pastor Bernard and learned the importance of the Holy Spirit.

Praying in tongues and being uplifted by praise have always been a part of my life, but connecting with the Holy Spirit in prayer and prophecy are also important. 

Everything was miraculous and I was spiritually filled and healed.

 


Then, another young Korean evangelist, Hyuk Park, came to Japan and ministered.

He was truly wonderful, not only for the healing and deliverance work he had learned in the African charismatic school, but also for his passion for Japan, which spun out from his words. Many messages from God.

God's love.

For the first time, I truly felt that "Japan" was engaged to God, or rather, had been made! I truly felt that "Japan" was engaged to God. Hallelujah !!

You may say, "No, no, no, Japan has always been connected with 8,000,000 gods.

That is also true.

There must have been a time when they were connected. However, the connection was easily severed.

And how long was it that we could have faith with certainty?

There was an idol, the emperor, and people worshipped many idols, from clay idols to Buddhist statues, but the traditions were not well connected.

With the Industrial Revolution, they easily switched to the belief in "money" and "materials".

Now they are trying to connect with "Jesus.

Like it or not.

You may  not believe it?

But this time, people will seek to "believe in God, respect God, and connect with the Holy Spirit. I don't care how ridiculous it sounds.

Revival in Japan has already begun.

No one can avoid "yes.

The younger generation, especially those in their teens and twenties, will react sensitively and come to faith.

Those who are reading. "Yeah, yeah, yeah. ???? What's that?" They will think, "What's that? (laugh).

 


It's not a matter of logic anymore.

Well, just watch.

A lot of help is coming.

Especially Pentecostal, charismatic pastors and evangelists.

I'm looking forward to it!

I'm so happy.

I'll cry.

 


I can only thank God!

The time of spiritual salvation is coming.

It will come soon.

The torch will be lit and the fire will spread.

From the north and the south, the Holy Spirit will take a thousand angels.

They will run all over Japan.

 


There is no logic to it.

No one can stop them.

Because this is God's plan. Hallelujah!

 


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リバイバルとは?ー日本にイエスキリストは受け入れられるか?

 クリスチャンにとっては耳慣れた言葉ではある。

ノンクリスチャンにとっては、リバイバル????何ですかそれ。

ということろだろうか。。。

 

ということで、分かりやすく解説していこうと思う。

礼拝しているときに、聖霊が一人一人に下り、意図的にではなくごくごく自然に「異言」という言語でない言語を唱えるようになったり、その場で病が奇跡的に癒されたり、例えばだが、盲目の人の目が開いたり、歩けない人が立ったり、科学的には説明のしようがない状態が起きる事であり、悪霊が付いている人は突然身体が痙攣してその場に倒れたりもするが、祈りによって悪霊から解放され、魂の解放が起きる。

また、預言的なことをメッセージする人も現れる。

 

これが、礼拝中にごく自然に起きるのだが、やはりその聖霊を導くリーダーは必要であり、牧師であったり、預言と解放と癒しの賜物(能力)を備えた、クリスチャンの存在は必須である。

実際にあった、近代のリバイバルで一番有名なのは米国LAのAzusa St.で起きた1906年リバイバルだろう。

とはいえ、こうして私がブログを書いてる瞬間にも世界中でリバイバルは起きている。

特にアフリカのカリスマ派と呼ばれる「異言」で祈り、聖霊との関りをより重要視する教会ではごくごく当たり前の光景なのだ。

そしてそれをリードするまさにカリスマ的なリーダーが数えきれないほど居る。

アフリカおそるべし。

 

話をAzusaSt.に戻すと、ドキュメンタリーによれば、ある黒人牧師が家庭礼拝を営んでいた、人数が増え続けたため、ある場所を借りてミニストリー(礼拝)をはじめたところ、それは突然に起きたのだ。

証言によれば、そこには黒人も白人も中国人や日本人もいたそうだ!!ハレルヤ!

子どもも、大人も混ざっており、いつも通りみんなで祈り始めたとき、聖霊が一人一人に下ったという。

それぞれが、まったく意思を持たないほどの力で満たされ、異言を話したり、お互いに癒しを与えたり、9歳くらいの子どもが足の悪い老人を癒し歩かせたという。

そこに居たすべての人が癒され解放され、説明の出来ない霊的な解放を経験した。

そこが火種となり、近隣の教会にもリバイバルが次々に起きることになる。

まるで山火事の火が燃え移るように・・・・

そういう状況が起きたときに、キリスト教を信仰して無かった人たちにも大きな影響を与える。人間はみな、霊的に解放されたいと願っているものなのだ。

信仰の火は燃え広がり、ペンテコステ運動の始まりとなる。

 

以下 Chatt GPTより引用

***

アズサ通りリバイバルは、1906年アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスのダウンタウンにあるアズサ通り312号にあった小さな倉庫で始まりました。このリバイバルは、ペンテコステ派ペンテコステ運動)の創始としても知られています。

1906年4月9日、アフリカ系アメリカ人の牧師であるウィリアム・J・シーモアが指導する教会で、聖霊の溢れるような経験が初めて現れました。礼拝中に信者たちが聖霊バプテスマを受け、祈りと讃美の言葉を話すことが始まりました。これにより、多くの人々が霊的な転換を経験し、キリスト教リバイバルが広まっていきました。

アズサ通りリバイバルは、異なる人種、民族、社会的背景の人々が一堂に会しキリスト教のメッセージが広く受け入れられる出来事となりました。このリバイバルは、ペンテコステ運動として広がり、現在でも世界中のキリスト教教会で影響を与え続けています。

アズサ通りリバイバルの影響は大きく、キリスト教ペンテコステ派聖霊派の宗派が成立するきっかけとなりました。この運動はキリスト教の歴史において重要な節目とされており、さまざまな信仰の運動や霊的な再生の源泉となっています。

***

伝統を重んじる福音主義の教会などでは、これを受け入れない傾向が強い。

霊的な現象を怪しいと感じるからだろう。

 

個人的にはクリスチャンになりたてのころからしばらくは、私も懐疑的だった。

人がバタバタ倒れたり、カルトな印象を持っていたことは確かである。

なぜなら、私たちは科学的なことしか信じられない脳になっているから、目に見えない霊的な部分の世界には興味もなければ、不可解なこととして理解してしまうからだ。

 

しかし、実際はどうだろうか?

日本には「念」や「気」という言葉がある通り、人間の霊的な範囲を敏感に感じる言葉が沢山ある。

私たちは無意識に霊的な世界に身を置き、翻弄されているのだ。

 

忘れられない思い出がある。

 

あるモラルの無い家族のうちで事件が起きた。

犬を多頭飼いしていたのだが、シベリアンハスキーが小型犬を襲いかみ殺してしまった。激怒したそのうちの旦那さんが、そのシベリアンを殴り殺したのだ。

聞いてるだけで恐ろしい話だが、その後がもっと恐ろしい。

私はその家族が経営する建築事務所でバイトしていたのだが、その旦那さんの目が日に日に色素が薄くなり、グレーに変わっていったのだ。

冗談ぽく奥さんが、「ハスキーを殺したから犬の霊が乗り移ったのよ、がはは。」

と言っていたが、まさにそれは真実で、旦那さんは体は人間だが霊的にはその死んだハスキー犬になったしまったのだ。

その後、すぐに辞めてしまった私はその後を知る由もないけれど、あの旦那さんの目はどうなっていったのだろう。

怖くて知りたくもないけれど。。

 

つまり、私が言いたいことは、人間は肉体的でありながら、霊的な存在であるということ。だから肉体的に満たされていても、霊的に解放されなければ、生きている幸せを得られることはない。

ティーブジョブスが亡くなる前に、こういった。

「家族の愛だけが真実で、金や名誉なんて自分にとって何の意味も無い」と。

愛は霊を満たすが、金や名誉はあってもないようなもの。つまり幻想なのだ。

 

今の日本はどうだろうか。

肉的な欲望(かね、もの、めいよ、欲)に満ちている。と同時に霊的には相当乾いているし、もうバッテリーが空っぽ状態である。

だから必死に埋めようと、株に投資したり、グルメ巡りしたり、人を蹴落としてまで出世しようとしたり、ひたすら金の亡者になったり、不倫に明け暮れたり、いろいろともがいているように見える。

でも自殺は減らない。

特に子供の自殺が4倍に増えているのはそういうことだと思う。

 

ここで唐突に言うけれど、日本にリバイバルは来る!

それを先日確信することが起きた。

私も3年前にカリスマ派の若いガーナ人の牧師と出会い、聖霊の大切さを学んだ。

異言で祈ることも、賛美で高揚することも昔からこれはあったけれど、祈りの中で聖霊と繋がることも。。。そして預言の数々も。

全てが奇跡的で、霊的に満たされ癒された。

 

そんな中、これまた若い韓国人の素晴らしい伝道師パク・ヒョックが来日しミニストリーを行ったのだ。

本当に素晴らしく、アフリカのカリスマ派で学んだ癒しと解放の業だけでなく、彼の言葉から紡ぎ出される、日本への情熱。神様からの沢山の伝言。

神様の愛。

私は初めて、「日本」が神様と婚約した、いや、出来た!と心底実感した。

いやいや、昔から日本は八百万の神と繋がってきたんだよ。とおっしゃるかもしれない。それもその通り。

繋がっていた時代もあっただろう。しかし、あっさり切れたのだ。

そして確信を持って信仰できたのはどのくらいだったのだろう。

天皇という偶像も居て、土偶から仏像から沢山の偶像を拝んできたけれど、その伝統は上手くつながらなかった。

産業革命であっさりと「金」「もの」信仰に乗り換えた。

それが、今度は「イエス」と繋がろうとしているのだ。

好む好まざる、である。

読者は信じないだろう。

でも、今度こそ「神を信仰し、敬い、聖霊とつながる」ことを人々は求めて行くのである。いくら荒唐無稽だと言われてもいい。

だって、もう日本のリバイバルは始まったのだ。

だれも「イエス」を避けられない。

特に10代、20代の若い世代は敏感に反応し信仰に入っていくだろう。

読んでる方。「ええええー????なにそれ?」と思われるでしょう。(笑)

 

もうここまでくると理屈じゃ無いんですよ。

まあ、見ててください。

これから沢山の助けでが来る。

特にペンテコステ、カリスマ派と呼ばれる牧師や伝道師たち。

楽しみだなあ~。

嬉しい。

涙が出ます。

 

神様に感謝しかない!!

霊的に救われる時が来る。

もう間もなく来る。

たいまつに火がつけられ、燃え広がるのだ。

北から南から、聖霊たちが1000の天使を連れて。

日本中を駆け巡るのだ。

 

理屈じゃ無い。

誰にも止められない。

何故なら、これが神の計画だからです。ハレルヤ!!

 

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日本の向かう先にあるものとは?ー混血人種の原点回帰へ

 少子化、高齢社会、人口問題、労働者不足。

全てにおいて日本が衰退していくシナリオは全てそろっていると言える。

かと言って、移民や外国人労働者に対しては、慎重な考え方がまだまだ根強い。

それは政治のせいかと言ったらそうではなくて、私たち一般市民の中に根強くある偏見や閉ざされた感覚である事には間違いない。

 

予算をつぎ込んだとしても、おそらく少子化の波は止めることは出来ないであろう。

社会全体が仕事やキャリアの中で自己実現できるようになっているわけだし、子どもを産んで育てるメリットを若い世代が感じることが出来ないからだ。

それは、何故か?

シンプルに50歳位になった時の自分がどうなるか?彼らには想像つかないからだ。

一人だってお金があれば生きていけるとか、好きなことをして楽しく生きていけると30代までは思うにきまっている。

それが人間なのだ。

親の「自分の家族を持ちなさい」なんて言葉はプレッシャーにしかならず、雑音でしかない。「ほっといて欲しい」と思うのは自然なこと。

 

それが若さである。

それが未熟さである。

 

でも、実はそれは間違えてる。

40代までは勢いと残りの体力で突っ走れるのだが、50代からは厳しい現実を突きつけられる。女性は更年期症状に悩まされるし、男性にも自律神経やホルモンバランスの崩れ、成人病などが襲い掛かる年代である。

いくら古女房でも、50代で病気した時に着替えを持ってきてくれる存在は有難いはずだ。女性にとっても、体調が突然悪くなった時に経済を支えてくれる夫の存在に感謝するときがくるのだ。

 

なによりも子どもたちの存在が心の癒しであり、喜びとなる。

50代で一人で生きるということは本当に試練が大きい。

30代の時には想像しえない試練が一気にくるようなもの。

だから、若い世代にはやっぱり家族を持つことの大切さを知ってほしい。

 

ところで、最近縄文、弥生時代が注目されているという。

特に縄文文化は定住し農耕を営んだにもかかわらず、ほとんど争いの痕跡がみられない。5000年あまりも人間が平和に生きた奇跡の時代。

現代の私たちにとっては理想郷である。

何故それが可能であったか?

考古学の研究者たちはゲノム解析を続けながら、いまだその解明に取り組んでいるという。すごーーーーーく興味深いではないか。

 

縄文の時代はホモサピエンスが主だと言われて入るが、ネアンデルタール人と交雑していた説もある。

当時は日本では、沖縄と北海道に原住民というかネイティブの民族が集落を作っていた。

大和大国になるずっと前。

ポリネシアインドネシアミクロネシアアイヌ民族の人達が私たちの祖先である。その後弥生時代に入って、朝鮮半島からホモサピエンス系の高度な文化と農耕の技術を持った人たちが入国してくる。

そこから本格的に農耕民族としての歴史が始まり、人口も増えていく。

日本は島国だから、大陸の高度な文化を学んで吸収してきたのは間違いがない。

詳しくは考古学者の藤田謙一氏の著書を参照ください。

今までDNAによる解析しか可能でなかった考古学にゲノムというサイエンスが加わり、更に歴史が塗り替えられているというのが面白い!

藤田氏によれば、研究者はネアンデルタールホモサピエンスを分けて考えがちだが、

ゲノムによれば、それすらもわけることが出来ないくらい、混ざり合っているというのだ。ハレルヤ!

 

神様の業はどこまでも深く広い。

 

つまり、縄文弥生時代にも、私たち日本人の祖先は周辺国の多様な民族と混ざり合い、出来上がってきた国なのである。

東南アジア、もしかしたら、極東の国ロシア、そして東アジア大陸。

世界はもともと一つだったと言っても過言ではない。

ネアンデルタールの代表選手はアフリカ大陸の人たちだから、そのゲノムも私たちの遺伝子には混ざり合っているだろう。

2500年あまり定住したそれらの多人種な民族は、この島国で家族を形成し、国家を形成し、国内で領土争いを繰り返し、あまり外部に開かずに、引きこもって暮らして来たから、単一民族のように感じているけれど、ゲノムで解析したらおそらくかなり多様な遺伝子を持っているはずである。

 

それでも、血族内の繁栄をし続けた結果、子孫の繁栄にはもうあまり積極的ではなく、まるで自然淘汰されるかのように、人口を減らし続けている。

だから、おそらく日本は2500年前の原点回帰をしようとしているのかもしれない。

沢山の民族を受け入れざるを得ない状況の中で、細々と多人種国家として再出発するのが、一番日本らしく、理想的な形なのではないか。

沢山の遺伝子たち!日本を救ってください。

生き物としてもその方が逞しく、健康的であるはず。

神の本意は一つ。

 

私たちがユナイト(1つ)になることなのだから!

ハレルヤ!

 

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