非常に個人的な事を書かせていただきますと、私の人生のステージが次の段階に入ってきたと思われます。
なんて、大げさなと思われるでしょうが、これは理屈じゃ無くそうなったとしか言いようが無いのですが。
目に見える成長というよりも霊的な成長が次のステージに進んだと思われます。
58年間生きてきて思うことは、人間やこの世界というのは物理的な世界だけでなく、むしろ物理的なものはほんの1部であり、ほとんどが霊的なエネルギーのせめぎあいなのでは?と思うことは多々あります。
実際私たちが経験するあらゆるもめ事や争いも、霊的なエネルギーの闘いなのだと思います。例えば、口ではいくら綺麗ごとを言っていても、その人の心は悪に満ちていることが分かる事って良くありませんか?
本人がどれだけごまかしても、本人の心が見え隠れするときに何とも言えぬ悪に満ちたエネルギーを感じますよすね?
その人の狡さ、傲慢さ、偽善、嫉妬、支配欲、挙げたらキリが無いくらい。
まあ、言ったらSNSなどはそんな悪霊たちの住処とも言えますね。
悪霊との闘いは、物理的肉体的な対処では間に合いません。
霊には霊で闘わなければならないのです。
では、霊には霊で闘うとはどうしたらよいのでしょうか?
日本なら神社や寺でお祓いでしょうか?
あれって実際祓われてるのでしょうか?
アルバイトの神主さんがやってたりしないのでしょうか?
形式だけのお祓いは意味ないですよね。
又は占い師とか。呪術師とか。
霊的な戦いを舐めたらいけません。
あらゆる病や事故、家族内の断絶、鬱、精神病などは全て悪霊の仕業と言っても過言ではありません。
仏教や神道ではどのように対処しているのでしょうか?
また、その他の霊的な手法を使う人たちは上手くいってるのでしょうか。
その辺の事情は私には分かりませんが。。。。
少なくともキリスト教では、悪霊祓いはあります。
その霊的な能力を持ち合わせた信仰の深い牧師や伝道師にしかできない業です。
中には偽の呪術師のような人たちもキリスト教を名乗り、やっている可能性もありますが、そういうものではなく、きちんと礼拝の中で悪霊をその人自身から追い出すという解放のミニストリーです。
科学的なマインドセットだと簡単には信じがたいと思いますが、アメリカでは1900年の初頭から、ペンテコステ派が、アフリカではいつごろからか不明ですが、カリスマ派という預言、異言、癒し、解放のミニストリーを行う礼拝ではとても一般的です。
もちろん、その他の国々でも行われてきたことだと思います。
今、このような解放のミニストリーがとても注目されています。
20代から40代の若い牧師やミニスター達が、悪霊に付かれた人たちを次々裁いていく様は本当に圧巻で、感動すら覚えるほどです。
解放後の人々の顔は喜びで溢れ、別人のような顔になります。
とてもリアルです。
霊的に勝利することが、最終的に平安と幸せを感じられる唯一の方法のように感じられます。
全ての人に当てはまるわけではありませんが、私たちは多かれ少なかれ霊的な影響を受けているのです。
ただ特別な能力を備えていない私のようなクリスチャンは、やはり原点に戻って「祈る事」に尽きるのかなと思います。
そして常に心に「イエス」をしっかりと置くこと。
イエスの名前はとても力強く、悪に立ち向かう最強のパワーとなります。
悪霊に心のドアを開きっぱなしにしないこと。
心を空洞にしないこと。
神様とコミットして、ドアのカギをロックすること。
祈りによってドアを閉める事。
霊的に強まれば自然に悪霊は逃げていきます。
神とイエスには勝ち目が無いからです。
ハレルヤ。ハレルヤ。ハレルヤ。
エフェソ人への手紙6:10-18