AiLydia’s diary

ゴスペルに関すること全てを書いていきます!歴史、背景、歌詞や曲の解説、おススメゴスペルアーティストなどなど!ゴスペルをメインに私の人生や想い、音楽や信仰に対する情熱を日々の出来事から綴っていきたいと思います。

ゴスペルの音楽的ルーツを探る2

アメリカのみならず西インド諸島や南米に連れていかれたアフリカ系の人たちはもちろん、元アフリカ人なのです。

とは言え、アフリカは大陸名であり、国の名前ではありません。アフリカも広く、ヨーロッパの植民地になる前は4つの王国で統治されていました。

ざっくり分ければ、サハラ砂漠以南のサブサハラと呼ばれる地域の中で、西アフリカ、東アフリカ、中央アフリカ、中東アフリカ、そして南アフリカです。一番アメリカ大陸に多く運ばれた奴隷は西アフリカでした。その後、中東や東にも奴隷貿易が広まりましたが、8割方は西アフリカの人たちが北アメリカ、南アメリカの黒人達の祖先では無いかと言われています。

ところが今のアメリカのゴスペルやジャズ、ファンクのビートは、現代の西アフリカのビートとはかなりかけ離れています。

むしろ中東の音楽が最もそのルーツと言えるのではないでしょうか?

これは、本当に不思議な話です。

17-19世紀に一番奴隷貿易が盛んであったにも関わらず、ジャズのルーツはルイジアナ州ニューオリンズだと言われており、ルイジアナ州はフランスが勝ち取り、そこに中東のアフリカ人が入ったと言われています。

ゴスペルの故郷とも言える、アメリ東海岸沿いのミシシッピデルタから南部にはおそらくですが、西アフリカ系の奴隷達が沢山運ばれたと想像されます。アフリカには当時文字文化も楽譜という文化も無く、根拠がはっきりしませんが、現代の西アフリカは、かなりアラブ音楽の影響が強く、宗教もムスリムが中心です。それでもダイナミックなアフロビートは勿論健在ですが、古いゴスペルに多く出てくるシャッフルビートは、今の西アフリカにはあまり感じられないのです。

むしろ、中東のコンゴを中心としたルンバやチャチャがカリブ海を経由してルイジアナ州に入り、フランスやアイリッシュやネイティブインディアンと混ざり合いながら、現代のゴスペルに繋がるような、シャッフルやファンクビートの元を形成していったと考えるのが自然なのかもしれません。

口承文化として発展したゴスペルは、あまりはっきりした文献も無く、その音から想像するしかないのですが。。。

どちらにしても、アフリカ的なリズムを色濃く残しながら、先祖の遺伝子を賛美歌の中にも刻み、ジャズ、ブルース、ゴスペルの三大ブラックミュージックは、アメリカで劇的な進化を遂げるのでした。

 

コンゴのルンバ

https://youtu.be/jxgnhVELUPA

 

西アフリカのジャンベ

https://youtu.be/LOS0kA_O6IQ

 

ニューオリンズトラディショナルジャズ

https://youtu.be/zAH-lE71wE4

 

To be continue