ここで、読書には素朴な疑問が湧いてくると思います。
なぜゴスペルは明るい曲調のものが多いの?と。
これは、とっても重要なテーマであり、ゴスペルとはなんぞや?という本質に触れる部分でもある。
彼らはアフリカからいわば拉致されてきた奴隷であった。
気がついたら名前も失い、家族も失い、裸で奴隷市場に立たされて、物色され、プランテーションの掘っ建て小屋に詰め込まれ、朝から晩まで働かされた。名前も適当に付けられた。
トミー、サム、マイケル、サリー、メアリー、等々そこに想いなどない。
白人の主人たちにしたら記号にも似た様な感覚だったろう。
気に入らなければリンチされ木に括られムチに打たれる。そんな日々の中で、唯一の救いが、自分たちの賛美歌を歌う事であった。
彼らは毎日が絶望であった。
明けても明けても、アフリカに帰るなんて想像は出来なかったし、ただただ地獄でしか無かっただろう。
その状況の中で、それでも彼らは、だからこそかもしれないが、明るい賛美歌を作り続けた。
希望を感じられる様に、アフリカのビートをたくさん盛り込んで、神様に祈り、一体となっていく時間を大切にした。
あそこで、いつも暗い曲調であったら、涙は出るけど希望に繋がることは出来なかっただろう。
ベートーベンが生きる希望を失い、耳が聞こえなくなった時、あの名曲「運命」が生まれたわけだけど、絶望そのものの始まりである。
あーもう終わりだ死んだほうがマシ。
ジャジャジャジャーン。。。
その後に少しずつ光を取り戻し、生きる事を誓い、例の「喜びの歌」へと昇華していく。
そして数えきれない名曲をむしろ聾唖になってから後に作曲した。
普通の人間の感覚なら、こっちの方がしっくりくるだろう。落ち込んでから、少しずつ起き上がる。
そして、前を向く。
でもアフリカ人たちは違った。
落ち込んでる暇などない!
常に前をむくんだ!というメッセージなのである。
自ら励まし、鼓舞させるビートにより、自分の中でエネルギーチャージする。
自家発電システム。
そこには普遍的な愛を注いでくれる「神」という存在がある。
神と直接繋がる回路を持ち合わせていた。
おそらくアフリカの時代から。
彼らは人間としての歴史が古く、さまざまな困難を乗り越えるスキルをその遺伝子に刻んでいるのではないかと思う。これは持論。
落ち込む時間があるなら、手を叩こう、神を呼ぼう、大地を踏みならせ!というのがアフリカのスタイル。
その日の問題はその日のうちに神様に重荷を下ろして、明日へ向かおう。
たとえ、現実的に解決の道が見えなくても、希望という言葉を口にして、歌い、同胞と分かち合い、是が非でも光を見出す。
神がいつか必ず救い出す!
モーセが海を割って奴隷たちを救った様に。
神がいつも寄り添い愛を注いでくれてる。
信じる力は海よりも深く山よりも高くなっていく。
その喜びを表すのに、スローで悲しいメロディは彼らにとってナンセンスだった。
アフリカの広大な大地と、沈む夕日を思いながら、
ヨルダン川を渡るということは、再び故郷へ帰る事を示した。
でも、彼らは泣くことだけを選択しなかった。
顔を上げて、神と直接交信して、希望という光を声に出した。
だから、意識しなくても自然に明るいメロディと、跳ねるビートになっていったのだろうし、何より、故郷アフリカで歌っていた明るい歌が蘇ってきたのだろう。
古いゴスペルを賛美する時、いつでも切ない。
メロディが明るければ明るいほど、その裏にあった悲しみや苦しみが飛んでくる様だ。
そして、その賛美の中で絶望が希望へと変換されていく。奴隷経験のない私の魂にも、その変換スイッチが押されていく様だ。
その時、涙は笑顔に変わる。
それは、キリスト教という一つの信仰をも超える世界。普遍的な世界。
今不安に包まれるこの国で、国家ごとクライシスに陥るこの国で、絶望を希望に帰る音楽が必要じゃないかと思われて仕方ない。
自家発電できる個人、集団の力。
それを繋いでいく音とビート。
だから、ゴスペルは湿っぽくない。
マイナス100をプラス100に帰る魔法だから!
I’m so grad Jesus lifted me
O happy day
Jesus oh what wonderful child