何度も書いているとあり、ゴスペルは、アメリカに連れてこられたアフリカ人がルーツです。
もし、その歴史の流れをまだ知らないと言う方は、このブログの初めからお読みくださいね。
さて、奴隷貿易により、主に西アフリカから運ばれた大量のアフリカ人の人たち。
現地では、今でもジェンベ、サバール、ドゥンドゥン、など様々なアフリカンドラムで、ご近所、と言っても数キロ先の親戚やご近所さんにドラムで冠婚葬祭の知らせや地域のニュースなどをそのリズムでつたえているそうです。
これは、日本にいるセネガル人が🇸🇳詳しく教えてくれたもので、本当の事です。
彼らは神様を賛美するときもその太鼓のビートを忘れません。
音楽的に言えば、メロディよりもビート優先です。
これは、アフリカの音楽研究者のみならず、アメリカ人やラテンアメリカの研究者も同じことを書いています。
音楽の中で最も大切とすることはビート。
日本人のドラマーで、西アフリカで修行した人が話していたことは、アフリカのビートは一見自由だけど、自然の摂理にきちんと従っていて、理にかなっているんだと。
そのビートにより、自然の神様を賛美し、繋がりを持ち、魂を自由にさせる。
偉大な、そしてスケールの大きいビートなのです。
そのビートをアメリカに渡っても、彼らは忘れていませんでした。むしろ、音の中に残そうとしました。自分のルーツがどこにあるか。
大事なことは何なのか。
神と繋がるときにそのビートは必須だったのです。
太鼓を持ち込むことはできなくとも、手拍子やステップでビートの遺伝子を残し、代々伝えていきました。だからこそ、ゴスペルは、躍動感に溢れ、生命力に溢れ、ポジティブなエネルギーに溢れるのです。
自然の理にかなった、神との交信。
その事を自分たちのアイデンティティとして残したのです。音の中に。
アフリカのビートに触れることは、ゴスペルのルーツにも触れること。
そして、人間としてのルーツを知ることにも繋がるのです。
To be continue