私は千葉県にある公立中学校、小学校の1講師である。もうかれこれ12年音楽や算数を教えてる。
学校教育では、通常ゴスペルは扱わない。
教科書にチラリとは出てくるが、そもそも、音楽の教師たちはクラシックしか学んできていないし、教育の場では西洋初のクラシックがふさわしいという価値観はここ100年変わってないだろう。
体育にダンスが必須科目になり、風向きが変わるかと思いきや、音楽の方は相変わらずである。
西洋クラシックとは、先ず作曲家有りきの音楽。
与えられた楽曲と譜面をひたすら再現するのみ、というのが音楽なのである。
再現してからそれぞれの表現を加える。
黒人音楽に見られるアドリブやリズムのアレンジなど到底考えにくい事であるし、教える方が先ず出来るわけがない。教師だって教わっていないのだから。
ゴスペルがなぜ音楽教育に向いているか?
何故なら古いスピリチュアルは英語の歌詞も短く、それでいてビートは西洋にはないアフタービートが楽しめる。上に、歴史的背景には差別という大きなテーマが横たわり、道徳観を育てることも出来るのだ。一粒で、何度でも美味しい!
そして、自由と解放のスピリットを味わえるのだ。
今のポップスに通じているビート、これはまさしく西洋からでもないアジアからでもない、紛れもなくアフリカ原産の跳ねる、楽しくなるビートなのだ。
それを学校で学ばないで、YouTubeで観るだけなんて、本当にナンセンスだと思う。
ゴスペルを教える時、何千人の子供たちを教えたかもはや数え切れないが、みんなが笑顔になる。
キラキラと輝く。
自由に手を叩いたり、踊ったり、椅子を叩く子もいる。私達の遺伝子にないシャッフルを容易に叩ける子もいる。素晴らしい!
子供の可能性はやはり、無限だと感じる。
西洋のカチッとしたリズムの構成は日本人にもとてもよく合う。美しさも感じる。
でも、音楽はそれだけじゃない。
もっと広くて深くて、自由で豊かな世界があるのだ。
その事をもっともっと教育の現場で教えられたら良いなと思う。
その事を日々実現できているこの私のような無名でローカルな、しかも一講師ができていることの奇跡。祝福。感動は計り知れない。
全ては、神様の与えた恵による。
感謝しかない。
子どもたちには今新しい音楽の世界が必要なのだ。
そう、自由に表現して良いんだということ。
#学校教育にゴスペルを