毎年授業で話をするのがこのトピック。
音楽の授業は音楽だけじゃない。自然、物理、国語、数学、国際理解などなど・・・
音楽を分解すれば、必ずその国が見えてくる。音はその国そのものだから。
その最たるものは、「長調」と「短調」いったい誰がこのルールを作ったのか?
私たちが当たり前に使っているこのたった2種類の音楽の世界。
これが全てだと思ったら大間違いである。
全ての音楽を2分化しているのはギリシャをはじめとするヨーロッパ諸国の国だけなのである。(その国々に支配されたところを含む)
中東やアフリカ、特にアジアにおいてはヨーロッパの影響下に無いころは独自の音階を持ち、決まった調性を持たず規則的なリズを持たずに来た国や民族も多い。
ところがかのソクラテスやアリストテレス時代のギリシャ人たちは、数学者であり天文学に長けていて、その物理学的な見地から音階という規則を周波数を2分の1にすることで、非常に機械的な規則を創り出し、しかも機械的に全ての音階は2つの「長調」と「短調」という2つのルールに基づくことにした。
つまり、人間の感情をドメスティックに2つに分けて、価値を見出す、そして表現していくという風にルール作りをしたわけなのである。
非常に人間臭い方法論である。
では、アジアや中東、アフリカではどうであろうか?
音階も独自のものがあり、リズムも楽譜に表記できない微妙な刻み方を持っている。
日本の「さくら」などは、明るいようでいて暗いような玉虫色の表現であるし、中東の音階や節回しなども譜面には表記できないだろう。
中国の弦楽器などは音と音の間に楽譜に表記できない音がつねに存在している。
人間の存在とは常に明解とは言えない、複雑な明と暗が混在しており、はっきりと2分化することは出来ないということを西洋以外の地域は表しているのだ。
スーパーナチュラルな世界である。
どちらが正解か?ということが問題なのではなく、西洋だけが特殊であることを私たちは知るべきである。なぜなら、今の世界のあらゆるルール作りはギリシャ発西洋式のものであって、それ以外の国の価値観とはかなり違っているからである。
しかし、その西洋がぶっちゃけて言えば、喧嘩が強かったためにその価値観を世界のスタンダートとすることが出来たということである。
これは音楽に関わらず、である。
しかし、世界は次のフェーズに入った。
喧嘩が強いものがイニシアティブを握るのではなくで、知恵のあるものが握る時代がぼちぼち訪れるのである。
もうその息吹を十分に感じる今日この頃である。
音楽にも経済にも特に若い世代にも。
もうしばらくは、西洋のルールで全てが進むであろう。
しかし、50年後、それ以降は本質的な時代が来て、音楽は長調、短調、どちらでもない自由な調、そして自由なリズムが世界を包むのではないか?
それが人間にとって本質的であり、自然体であると誰もが知るであろう。
アフリカのリズムなんて超ースーパーナチュラルである。
人間にはとても複雑で美しいグラデーションがあり、それが平和を作りだす。
文化の違う者同士が分かり合うのではなく、戦うのでもなく、「なるほどねー」って言てにこりとすればればええやん。ってことなのだ。
つまりは、どっちでもええやん、って言えること。
玉虫色になること。
ゼロでも百でもない。
黒でも白でもない。
AでもBでもない世界。
言葉にできない世界を創ろう!!
神の祝福を!!
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