AiLydia’s diary

ゴスペルに関すること全てを書いていきます!歴史、背景、歌詞や曲の解説、おススメゴスペルアーティストなどなど!ゴスペルをメインに私の人生や想い、音楽や信仰に対する情熱を日々の出来事から綴っていきたいと思います。

私のルーツについて ゴスペルの源

2年前に書いたものを再度シェアします。

 

ルーツについて

先日、船橋教会でゴスペルのレッスンをさせてもらった時に、自分のルーツについてお話しする機会を与えられた。
何故なら参加した教会のある女性から、教会との関わりや音楽的なバックグラウンド含め質問があったからです。
いつもフェイスブックには度々書いているつもりでも、また触れておきたい気持ちになり書かせてもらおうと思います。
おそらく、私がゴスペルや音楽をやるにあたっては、父方の祖父母の影響が大きい。私の三代前に岡山から一家は出てきて地元岡山の仏教から曽祖父がキリスト教に改宗した。そして、東京の中野に小さな平屋のホームチャーチを建てた。
それが今の日本キリスト教団白鷺教会である。祖父は父親の意思を継いで東京神学校で神学を学び、バルトの研究者として各ミッション系の大学で教鞭を執った。祖母は岡山時代からオルガン奏者。
私は幼い頃から祖父母の家に行けば、当たり前のようにお祈りをし、当たり前のように親族は賛美歌を歌うという慣習の中で育った。住んでいた千葉では嫁である母は懸命に夫の実家に尽くそうと私を日曜学校に連れて行った。母方はごく普通の日本家庭であったし、仏教や神道を生活の中に置いていた。だからこそ、母は必死に夫の実家のキリスト教に馴染もうとしていたのかもしれない。
当の私の父は教会離れが激しく、あまり近寄らないようにしていた印象がある。
わたしにもお前たちは自由だから、無理やりキリスト教になる必要はないと言い聞かせていた。その後歌が大好きだった私を母は地元の大きな合唱団に入れてくれた。これが第2の音楽体験。10-18歳まで千葉の合唱団で一通りクラシックの古典から日本のわらべ歌やアジアの歌、アメリカのミュージカルなどありとあらゆる歌をもちろん、クラシック形式の指導とアレンジで数えきれないほど歌って来た。教会の賛美歌と合唱団での経験は完璧に西洋音楽であったし、それが私にとっての音楽というものであった。
それに加えて、音大に進んだわけなので、またまたドイツやイタリア、イギリスの古典から近代までのクラシックを学んで、ベルリンに演奏旅行したり、一人でヨーロッパを周ったりもしたから、その頃はアメリカのアの字もなかったと言える。でも、体質的にクラシックじゃないなあと気付いてたし、ポップスやイギリスのR&Bとか、アメリカンホワイトロックには青春時代ハマっていたからここまで来てもブラックミュージックのかけらもなかったわけなのだ。(笑)
 30代になり初めてゴスペルを知り、衝撃を受けて、まるで乾いたスポンジが水を吸うように彼らの力強いビート、声、ブルースコードに引き寄せられるようにハマっていった。それは、私の中に1つの音楽的な革命が起きた瞬間であり、魂や細胞まで生まれ変わるほどの音楽的体験だったのです。しかし、幼い頃から慣れ親しんだ西洋の賛美歌や美しい合唱曲の名曲たちと、また反射するかのごとく化学反応が起きたのだ。
そして、再びゴスペルによって、私は教会に導かれ、慣れ親しんだお祈りやオルガンの音、聖書の世界へと戻りました。
2つの相反する音の世界が私の中では、イエスを起点として全く矛盾なく存在し今の私の命となっています。
船橋教会の古い信徒さんはその話を聞いて安堵した表情でした。彼らにとって、教会生活や聖書を全く知らずしてゴスペルだけの世界に引き込まれることは本当に不安なのだと思います。
私の中にあるキリスト教的素地や音楽的素地は縦横無尽で、西洋からアフリカ大陸までを横断して行きます。その事がこれからのすべての歩みを支えるでしょう。そして、天国の曽祖父や祖父母、父も目を細めている事でしょう。
前にも書きましたが、祖父はバルト神学を専門としていたけど、決して偏る事なく多様な価値観を受け入れてました。
カソリック然り、社会主義然り、客観的視点でその良いところを見ていたようです。だから、きっと今存命ならJames H.Cornの話を聞かせてくれと言ってると思うのです。そんな我がルーツを大切にしながらこれからも何も変わらずに、黒人たちが紡いできた偉大な遺産ゴスペルとブラックスピリチュアルを賛美していきたいと思います。ハレルヤハレルヤ❣️
Glory Hallelujah!!!! In Jesus name Amen!!!!

 

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