さて、前回に引き続き大胆なタイトルで書いてみます!
日本は世界的にもまれにみる無宗教といわれる国であり、クリスチャン人口はこの100年を以てしても(アメリカのプロテスタントが明治維新で入って来てから)、たったの1%なのです。
これは、宗教の歴史学者の話を聞いてもキリスト教伝道が成功しなかったのは世界で2つだけ、インドと日本だそうです。
インドは分かる気がします。巨大な仏教の源泉と自然宗に近いヒンドゥー教が横たわっていて、さすがのヨーロッパ人も入り込むにはきつかったのでしょうね。
勿論地域によっては、イギリスがキリスト教を伝搬して広がったとこもあり、今や多様な信仰が入り混じった世界人口第1位の国ですから。
もう一つの最もユニークな国「日本」はどうでしょうか。
この100年ほとんど広がりを見せていないキリスト教の布教、今後広がりを見せるかどうか?クリスチャンの私としても気になるところです。
キリスト教の伝来はもちろん、明治以前にもありましたね。
かのフランシスコザビエルが16世紀にカソリックを長崎初め九州地方に布教し、かなり広がりを見せたが、豊臣秀吉の時にキリシタン大名などの反乱を受け厳しく取り締まることになりました。
その後徳川家康の時代に入り江戸幕府も非常に西洋の宗教に警戒心を持ち、「南蛮人」という言葉も生まれたくらい、彼らに脅威を感じキリスト教を弾圧しました。
いわゆる「踏み絵」の時代です。
逆に何故布教が可能だったかということは、貿易と結びついています。
貿易を進めるためには、西洋からの文化を受け入れざるを得なかったのが当時の状況なのだと思います。
またその後布教が止まるきっかけとしては、ポルトガル人の仏教や神道への迫害行為や強引な言動が幕府を怒らせたからだと、歴史は語っています。
日本人の気質としては、真面目で勤勉であるがゆえに、信じたら一途だけれど、裏切りを感じたら二度と受け入れないという気質があると思います。
繊細さの裏返しとしては弱さのようなもの、気遣いや思いやりの裏側に傷つきやすい精神があるのでしょう。
そこに当時の西洋人は上手くコミットできなかったのではないでしょうか?
徳川家の感じた「西洋人への恐怖心」はその後鎖国へと繋がり、日本人の外国人恐怖症はこの時代から脈々と続いていると思われます。
ほとんどの日本人と話していると、無意識的なところで外国人への警戒心のようなものを感じるのです。このグローバル化された現代にあっても。
「治安が悪くなる」「侵略される」「土地を買占められていつのまにか支配される」等々等・・・ものすごい被害妄想が激しいです。
まあ、確かに日本人ほどルールを守り、暴力的な行為が少ない民族性は無いのは事実ですから、分からなくもないのですが。
彼らは私たちに害を与えるのではないか?と何も起きてない時点から想像してしまうのです。
これって、、、徳川家の遺伝子なのか?とすら感じてしまいます。
歴史に戻ると、徳川が事実上倒れ、慶喜を最後に明治維新が起き、キリスト教は日本に再布教されました。それはカソリックではなく、アメリカのプロテスタントと言われるカソリックよりも厳格でなく、より生活に密着した形のキリスト教でした。
まあ、中身としてはカソリックをベースにした少し現実味のある信仰スタイルになったという形ですが。
生活様式が一気にアメリカ化したにもかかわらず、このキリスト教はそこまでは広がらなかったのです。
勿論、沢山の宣教師が来て、日本基督教団が出来、教会が建てられ、信徒もある程度確保できたにもかかわらず。です。
まるで日本全体がキリスト教を拒否しているかのようです。
その後の世界大戦も影響しているかもしれません。
アメリカは多くの戦争を仕掛け、巨大な大国となり、戦争をする国はいつだって宗教を盾にする、とくに一神教を言われるキリスト教やイスラム教の国が戦争をしているのは、日本人の目には大きな矛盾となって映っていたでしょう。
このような矛盾にも鋭く批判の目を持ったのも日本人的ではあります。
では、この矛盾を乗り越えてでもキリスト教を求めていくとしたら、どのような状況でしょうか?
そのことを私たちクリスチャンが真剣に考えるときが来ていると思います。
神事や祭り、氏神への奉仕などもほとんど形骸化した日本において、己の神までも見捨てた日本という国が最も恐れたキリスト教を信じる日は果たしてくるのか?
という点を次回もパート2で深堀していきたいと思っています。
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