ブラックスピリチュアルを語るときに、外せないテーマがあります。
それが、キリスト教との彼らのつながりです。
私たち一般的に考えたとき、彼らはなぜキリスト教を素直に信じることができたのでしょうか?
毎日白人の主人達に迫害を受け、その主人達に教えられた信仰をそのまま素直に受け入れることが出来たのか?というと、不思議な気がしてきます。
ここからは、想像するしかない世界です。
彼らは労働力としての財産であり、教育を受けさせる対象ではありませんでした。
だから、文字に残されたものは稀有で、詩人としてケンブリッジ大学で認められたフィリス・ホイトリーや独学で文字の読み書きを習得し、その奴隷生活を手記に残したフレデリック・ダグラスなどがあるものの、なぜキリスト教を信仰したのか?という本質については、後世になってから、さまざまな研究者がその分析を試みているのです。
そのような文献の中から、また、スピリチュアルな歌詞から想像してみて、私が推測したときに、やはり聖書という一つの物語が、彼らの心を揺さぶったという事と、イエスキリストの存在は、奴隷達のように過酷で、虐げられ、しかしながら神がいくつもの奇跡を起こしたという、共感性と、創造性の二つが常に交互に奴隷達の心に響いていたのではないか?と思われるのです。
また、アフリカの大地で育まれた神への畏敬の念が
彼らの信仰への導きとなったに違いありません。
それにしても、白人の主人達に対する憎悪を超えて心に魂に光をもたらせる事が出来た、さまざまな奇跡の物語。そして、神とつながることに一遍の疑いや躊躇を持たずに神を求めていったアフリカ人の気質や価値観のようなものが、まるで乾いたスポンジが水を吸い上げるが如く、キリスト教信仰へと入って行ったのでしょう。
そして、いくら歪曲されたメッセージを礼拝で聞いたとしても、彼らは怯まず、その嘘を見抜き、本当の神の愛を求めていったとも言えます。
過酷な状況であったからこそ、強く求め、信じ、奴隷達の連帯を強めていったのでしょう。
そのような信仰のバックグラウンドがあってこそ、ゴスペルが生まれたわけです。
そしてイギリスから入ってきた教会という文化、美しい賛美歌、オルガンの響き、クワイヤの美しさもまた、彼らの心を捉えたに違いありません。
毎日のようにあった虐待や労働の中の一瞬の心の止まり木のような時間が礼拝だったのかもしれません。
Total praise
To be continue