引き細々、賛否両論、カオスとなった東京オリンピック2020'コロナ禍にオリンピックを引き当てた元総理や東京都知事の運の悪さというか、行いの悪さによる神の裁きか?
私は1965年生まれだから、東京オリンピックの翌年生まれた。記憶にはないけど、オリンピック2度目の世代。
ベビーブーム、高度経済成長の典型的なバブル世代ではあるのだが、今回ばかりは浮かれてはいられなかった。
スポーツ観戦好きだし、世界中の人達が集まるのも大好きだけど、さすがにこのコロナ禍の感染拡大してる中のオリンピックには、違和感と不安を感じざるを得なかった。
やめといたほうがええやん?
と思いつつ、ここまで大金を投じて、会場準備して、世界中のアスリートの夢を、いや、世界中の子供たちの夢も奪うようなリスクは負えないだろうとも思った。
しかし、そのために日本の人たちが犠牲になるの?という、もはやヒステリックな叫びが、人殺しオリンピック!とか、バッハ会長やスポンサーの企業や電通に殺される!くらいのレベルのもう明日にも自分がコロナになり死ぬくらいな叫びが、Twitterやフェイスブックに溢れた。
いやあ。そこまで恐怖に落とされなくてもいいんじゃ?と、慰めてあげたいくらい。
恐怖と不安に苛まれてる人たちは、このオリンピックを命懸けだと考えてるかもしれない。
オリンピックに殺されるという悪夢まで見てるかもしれない。
なんか、段々気の毒になってきた。
まだコロナにもなっていない人達が、ゾンビなようなものに襲われるくらいな、恐怖を覚えているのだから。
少し冷静になる必要がある。
今感染している世代は、若い世代。
彼らはもう、この状況に慣れきって、気楽にカラオケや飲み屋さんに通ってる世代。
もう我慢も限界なのだろう。
なったらなったで、どうにかなる。
と思いがちな世代だから。
小池百合子の言葉なんて届くわけがない。
だって、オリンピックやってるんだから、俺らも自由にさせてよ!
って、ある意味正論。
てことは、この時期にオリンピック招致をした時点で、日本のカオスを呼び込んだ日本政府、オリンピック委員会と、都知事。
少しは謙虚になって、反省してくださいよ。
見てる国民も命懸け、このオリンピックに賭けてきたアスリートも命懸け。
医療機関も命懸け。
せめて、日本でやったことで、犠牲はあったものの、救われた人たちもいる、勇気をもらった人たちもいる、夢をもらえた子供たちもいる、小さな国から来たアスリートが、ヒーローになれた、などなど、希望に繋いで行けることを見つけて行きたい。
私は、少なくとも、このカオスの中を泳いで、ステイホームして、命を賭けて闘うアスリートや、世界の色々な国々を観て楽しみたいと思う。
医療従事者への心遣いとしては、とにかく繁華街には行かない。移動は最小限にする。
今の感染はオリンピックだけじゃない。
もう若い世代には、我慢の限界なのだろう。
飲み会したい、カラオケしたい、出かけたい。
ワクチンも出回り始めてるから、そろそろええやん?という感覚なのかな。
それも理解出来るしね。でも、もう少し我慢。
そして、しみじみ死んでもいい‼️という気迫で闘うアスリートを見る限り、人間は不思議だ、と思う。死にたいわけじゃないのに、死んでもいい!と思うほど、人生を賭ける事がある。
死んでもいいくらい頑張れる、死んでもいいくらい好きである、死を感じることは、今の自分が如何に生かされてるかということを知る事だから。
魂が揺さぶられるという事はそういう事なのかなと思う。
柔道の大野将平君が、試合は生きるか死ぬかなんで、、、と答えてました。
そして、1番それを実感したのは、サーフィン!
あの台風前の荒れた波の泡の中に埋もれながら
自然と一体になる事。まるで命を神様に捧げているかのような。神事なようなスポーツ。
あれは感動でした。
オリンピックに殺される〜‼️って、嘆いてる人たちに言いたい。
死の恐怖は、同時に今ある自分が生きてる喜びを感じられるチャンスでもあるのだ。
今日は元気だった、スイカ食べた、家族と話した、ケーキ美味しかった、とか、そういう生きてる実感を感じてみてはいかがでしょうか?
恐怖にフォーカスしないで、小さな幸せにフォーカスしませんか?
命懸けとは、つまり、今、生きてるという証なのだから。
ハレルヤ!
#オリンピック#パラリンピック
#コロナパンデミック
#死の恐怖#生きる幸せ
#死を感じて生かされる